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真言宗須磨寺派本山で、正式名は福祥寺といいます。でも須磨寺の名前で知られています。(金閣寺とその正式名称「鹿苑寺」みたいなもの?) 寺の仁王門を通って進むと、石段がありますが、その石段左下に平敦盛と呼び止める熊谷直実の一期討ちの場面を現した「源平の庭」があります。ちょうど能『敦盛』のキリ「後より。熊谷の次郎直実。遁さじと。追つ駆けたり敦盛も。馬引き換えし」の謡の場面ですね。 「源平の庭」の奥には「宝物館」があり、寺宝が公開されています。ここの寺宝には平敦盛が討たれる時に身につけていたとされる「青葉の笛」ほか、蓮生法師作という平敦盛の木像などがありますけれど、残念ながら伝説の域を越えるものではないように思えます。 奥には敦盛塚(上の写真)があります。ただし、須磨浦公園の方にも同じく「敦盛塚」があるといいます。一応、説明として須磨寺が首塚で、須磨浦公園の方が胴塚だという話も聞きましたが…もともとはまったく関係なかった「あつめ塚」が訛って「敦盛塚」となったという話もあり、随分あやしいようです。 ほかに源義経が敦盛の首を検分する際に腰をかけたという「義経腰掛松」、敦盛の首を洗ったという「敦盛首洗池」といった源平合戦に関係するスポットのほか、「神功皇后釣竿竹」「弘法岩」「芭蕉句碑」など、たくさんの史跡があります。 ただ、あまりにたくさん豪華に存在するため、落ち着きがないというか。逆にチープな感じがしてしまう…(汗) そんなお寺でした。須磨寺の関係者の方々、ゴメンナサイ。 (2003/01/27) |
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