小野小町双紙洗水 「能楽の淵」トップページへ


小野小町双紙洗水の碑
小野小町双紙洗水の碑

小町通の碑

 堀川通から東に一条通を入ったところ、あの有名な一条戻橋を越えたところに「小野小町双紙洗水」と書かれた碑があります。能『草紙洗』(観世流は『草子洗小町』、喜多流は『草紙洗小町』)で、小野小町が大伴黒主に書き入れられた『万葉集』の草子を洗ったとされている場所です。

 もっとも謡には「時しも頃ハ卯月半ば。清涼殿の御会なれば。花やかにこそ見えたりけれ」とあるので、内裏の清涼殿が正しいはずです。平安京には里内裏(貴族邸を仮の内裏とすること)の時期が長いのですが、子方演じる天皇は醍醐天皇だと考えられるので、本来の平安宮にあった内裏です。しかし、その場所とは随分違います。

 もっともこの能は『古今和歌集』仮名序の世界を能にしたてた話であって、あくまで史実性はありませんので、構わないことですが、ならば何故この場所が「小野小町双紙洗水」の土地とされたのかはよく分かりません。

 現在はこの碑のほかに何もありませんが、噂によると、江戸時代にはこの地に「小町塔」という塔があり、また昭和初期までは小町ゆかりだという井戸があったといいます。なんらかの小町伝説の拠点となっていたのかもしれませんね。

 ここから北に向かう通りを小町通といいますが、この通りは昭和の初めにこの辺りが火災で 灰燼に帰した時に復興策として設けられた道路だそうで、小町とは直接の関係はありません。逆にこの場所にあった小町伝説から名づけられた名前なのです。

(2004/10/17)

DATA

京都市上京区一条通堀川東入ル

能『草紙洗』(観世流は『草子洗小町』、喜多流は『草紙洗小町』)の舞台。
洗ひ洗ひて取り上げて 見れば不思議やこは如何に 数々のその歌の 作者も題も 文字の形も少しも乱るる事もなく 入筆なれば浮草の 文字は一字も 残らで消えにけり

交通
・京都市バス「一条戻橋」

能・狂言ゆかりの地
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