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和布刈神社
和布刈神社

めかり神事

 九州で最も本州側に突き出た岬の先に和布刈神社はあります。古くは早鞆社、早戸社、隼人社と呼ばれていたそうです。創建は社伝によれば仲哀9年(200)…もっとも日本史では6世紀以前はあやしいわけですが。ともかく中世以降、この地を領地とした各大名に崇敬されたことは間違いではないようです。

 関門大橋のすぐ下にある小さな神社ですが、この神社が有名なのは、右上の図のように、旧暦元旦に3人の神官が 厳寒の海に入って瀬戸の岩戸についたワカメを刈り取り神前に供えるという和布刈神事のためです。福岡県の無形民俗文化財にも指定されています。現在は公開されていますが、元々は秘儀とされ、外部非公開でした。

関門海峡と鳥居

 早鞆浦と呼ばれたように関門海峡の潮流は速く、国内では鳴門海峡・来島海峡に次いで3番目だそうです。早いときは川の様に流れるとすら聞きます。和布刈神事で海に入るのは干潮時とはいえ、危険なことには違いありません。神事の時に海に入る道は間違って人が入らないよう、普段は閉ざされています。

 和布刈神社の祭神は五柱。うち彦火々出見尊(ヒコホホデミ。いわゆる山幸彦)と豊玉姫命に関する伝説が能『和布刈』の前半に語られます。

 豊玉姫は竜宮の姫でした。御産にあたって、決して覗かないで下さい、と彦火々出見と約束するのですが、彦火々出見は覗いてしまいます。すると、豊玉姫は本性の鰐(鮫のこと)となっていました。その姿を見られたことを恥じて、豊玉姫は竜宮に帰り、それ以降、海と陸の交わりはなくなったという『古事記』『日本書紀』『彦火々出見尊絵巻』などにも見える神話です。

 しかし、この和布刈神事の時は、神慮によって海と陸の交わりが再開される、というのが能『和布刈』の語る内容なのです。

 ただ能『和布刈』の本文を読んでいて、少し気にかかるのは、ワキが「そもそもこれは長門の国早鞆の明神に仕へ申す神職の者なり」と名乗ることと「実に深き蒼海を。陸路になしてこの国の。長門の通ひ隔てなき」という謡です。この和布刈神社は九州ですから、筑紫のはず…?長門は海を隔てた今の山口県なんですよね。なんででしょうね?

(2004/12/01)

DATA

福岡県北九州市門司区門司3492

能『和布刈』ゆかりの神社。
春の野に出でて摘む若菜 生ひ行く末の程もなく 年は暮るれど緑なる 和布刈の今日の神祭 心を致し様々に 君の恵みを祈るなり

交通
・西鉄バス「和布刈神社」

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