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御津八幡宮境内より
御津八幡宮境内より

三津寺

 大阪のメインストリートのひとつ御堂筋で心斎橋辺りを歩いていると、「御堂筋八幡町」という交差点があり、そこを西に1つ入ると御津八幡宮があります。現在ではここは「アメリカ村」の中心地で、外国人も普通に歩き回るファッションの街のど真ん中にある神社は不思議な雰囲気を持っています。

 この辺りは昔は海との境で、港になっていたそうです。奈良時代に行われた聖武天皇による東大寺の大仏建立にあたり、宇佐八幡宮の神霊が力添えをするべく平城京へ上るということがあったのですが、その時、この御津の地に上陸して一時安置され、その跡に社殿を建てたのがこの御津八幡宮なんだそうです。

 ほかにも大伴家持が「…芦が散る 難波の御津に 大船に 真櫂繁貫き…」と防人の気持ちを詠んだ和歌を残していますし、また真言宗の開祖である弘法大師空海が唐へ渡る際の出航地であったともいいます。この土地こそが、古代の難波津、難波京の「御津」だったわけですね。

 能『芦刈』で「笠之段」の直前にシテとワキが問答しているのも、そういうことを受けてでしょう。

従者「いかに申し候。さて御津の浜とはいづくにて候ふぞ
蘆売「忝くも御津の浜の御在所はあれにて候
従者「不思議やな。なにとて忝きなんどとは仰せ候ふぞ
蘆売「あら。なにともなや。さらば何とて御津の浜とはおん尋ね候ぞ。忝くも仁徳天皇この難波の浦に大宮作りし給ふ。おん津と書いて御津の浜とは申すなり
従者「げに面白き謂われかな。皇居なりつる浦なれば。御津の浜とは理なり
蘆売「波涛海辺の大宮なれば。漁村にともす篝火までも。禁裏雲居の御火かと見えて。上雲上の月卿より。下万民の民間までも。有り難かりし恵みぞかし。や。あれ御覧ぜよ御津の浜に。網子調ふる網船の。えいやえいやと寄せ来るぞや

 また、近くには三津寺という寺もあります(右上の写真)。寺伝によると天平16年(744)に聖武天皇の勅願で、行基が開創したとされます。行基といえば初めは政府に弾圧されたものの、後に大僧正に任じられ大仏建立に力を注いだ僧侶です。ですからもしかしたら、この寺も東大寺大仏関連で建立されたものかもしれません。『摂津名所図会』には「三津寺は御津八幡宮の神宮寺との説あり」と書かれているそうですし、この2つの寺社になんらかの関係はありそうです。

(2004/02/12)

DATA
大阪市中央区西心斎橋2-10-7(御津八幡宮)

能『芦刈』の舞台。
忝くも仁徳天皇この難波の浦に大宮作りし給ふ おん津と書いて御津の浜とは申すなり


交通
・大阪市営地下鉄御堂筋線「心斎橋」
・大阪市営地下鉄御堂筋線、千日前線、四つ橋線「なんば」
・近鉄奈良線「近鉄難波」
・南海本線、高野線「難波」

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