大物主神社 |
能『船弁慶』で、源義経と静御前の別れの舞台となった場所です。ちょうど現在の大物主神社の境内あたりだそうな。もともと尼崎は海運の要衝でした。だから義経一行も大物を経由して、四国に渡ろうとしたのでしょう。
「大物」の地名の由来にはいろいろな説がありますが、平安時代に港町として栄え、取引された材木の大きさを意味する「大物」からきているという説が有力だそうです。
大物主神社の境内には、「義経弁慶隠家跡」の碑があり、謡曲史跡保存会の立て札が立っています。大物主神社は古く、平安時代からこの地にあったとも言われています。水路を下る人々やこの地を通って大阪湾から瀬戸内海へ船出する人々にとって守り神だったようです。大物の浦から船出した義経主従がこの大物主神社の傍らに潜んだのには、船出の無事を祈る意味合いもあったのかもしれません。
ほかにも近くには「静名残の橋」というものもあるらしいのですが、残念ながら見つけることができませんでした。もっとも『船弁慶』前半のドラマである大物の浦での源義経と静御前の別れは能作者の虚構で、史実では大物浦を出航後、吉野山を越える際に別れたのでした。
近くには大物川野外能舞台という舞台があり、毎年8月5日に「尼崎薪能」が催されています。
(2003/01/27)
|