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仁和4年(888)に宇多天皇によって創建された真言密教の道場。その宇多天皇が退位後に出家して法皇となってこの寺に入って以来、明治維新まで30代1000年に渡って皇子皇孫が仁和寺の門跡となった日本最古の門跡寺院です。そのため、旧御室御所ともいわれてもいます。 平経正は、元服するまでの間、その仁和寺門跡の法親王に仕え、その寵愛により琵琶の名器「青山」を賜りましたが、後、平家都落の際、この名器を田舎に埋もれさせるのは惜しいと返却しています。後、法親王が僧都行慶に命じて、供養を執り行うのが能『経政』のストーリーです。 仁和寺境内には、謡曲史跡保存会が立てた看板があるぐらいで、特別に平経正ゆかりのものや建物があるわけではありません。しかも、応仁の乱の際に西軍の陣となっていたために東軍の焼き討ちを受け、当時の建物は何一つとして残っていません。 しかし、将軍徳川家光の時代になって、京都御所を改築するにあたり紫宸殿ほかの建物を移築して伽藍としたためか、後に再建や増築された建物も併せて、全体になんとなく王朝風の雰囲気のする寺となっています。 特に宸殿が良かったです。建物、庭園、どれをとってもわざとらしさが鼻につかない、それでいて非常に計算された美しさを誇っていました。奥ゆかしいっていうんですかね、ああいう感覚は。蔀戸が半分だけ開いている様子とか、渡殿の様子とか、もうツボに入りまくり。500円の拝観料じゃ安いって感じました。世界遺産って納得です。 能『経政』を感じるという意味ではあまりオススメしませんが、思わぬ感動の得られた寺でした。 (2003/11/20) |
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