生田神社 |
神戸の中心地・三宮の駅前から少し北に向かった繁華街のど真ン中に生田神社があります。今の市名である「神戸」は、生田神社の荘園=神戸(かんべ)であったことに由来するという、古い神社です。
その草創は『日本書紀』神功皇后摂政元年2月条に、新羅征伐を終えた皇后が難波に帰還する際に稚日女神(わかひるめのかみ)を祀ったとされます。
同じ記事に、天照大神の荒魂を広田神社(西宮市)、事代主神を長田神社(神戸市長田区)に祀ったと書かれているので、それぞれ同じ年の草創ということになりますね。神功皇后自体は伝説の存在ですが、「摂政元年」を無理に西暦に直すと201年になるそうで、2001年には「鎮座1800年祭」を各神社が行っていた記憶があります。
拝殿の背後には生田の森があります。『枕草子』の「森は」の段にも記されていますし、源平の合戦場となったぐらいですから、昔はもっと広かったのでしょうけれど現在は繁華街の中心部。当時の面影は少なくなってしまっていますが、良い雰囲気の場所でした。
源平合戦に関する2つの能が、この生田神社周辺を舞台としています。『箙』と『生田敦盛』です。『箙』は生田の森での梶原景季の奮戦ぶりが『平家物語』に記されていますが、『生田敦盛』に関しては? 御伽草子に『小敦盛』という話があり、能と互いに影響を与え合ったといいます。
神社自体の能との係わり合いについては、毎年秋祭に薪能が行われることでしょうか。生田神社を拠点とする生田雅楽会による舞楽などと併せて、秋祭の目玉となっています。
(2004/09/01)
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