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西求女塚と書いて「にしもとめづか」と読みます。古墳といえば想像するのは丸(円墳)と四角(方墳)が合体した形の前方後円墳ですが、この西求女塚古墳は四角い方墳が二つ繋がった形の前方後方墳です。 大きさは全長97メートル。竪穴式石室から中国製の剣・刀・槍などが出土し、4世紀ごろの神戸地方の有力豪族を葬った墓だと言われています。 前方部に奈良の(一説には卑弥呼の墓ともいわれる)箸墓古墳と同じ形式を持つことから、この地方最古の古墳であろうとも。実際に卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡も出土しています。 この西求女塚古墳は、東にある処女塚古墳を挟んで東求女塚古墳とほぼ等間隔で並んでいます。その位置関係からある悲哀物語が生まれています。古くは『万葉集』に記され『大和物語』を経て、能『求塚』に到ります。 昔、小竹田男(ささだおのこ)と血沼丈夫(ちぬのますらお)という二人の青年が菟名日処女(うないのおとめ)に恋をして、二人は同時に恋文を送りました。女はどちらにも靡かず、生田川のオシドリを射当てた人に従うと答えますが、すると二人の矢は同時に鳥を射止めます。女は悩み抜いて川に身を投げ、その遺体は塚に築きこめられました。その後、男たちも互いに刺し違えて死んだという…。 彼ら三人を葬った墓が処女塚と東西の求女塚の古墳だと言われています。古墳の上にある案内板には、『万葉集』にある男を悼んだ歌が書かれていました。 語りつぐからにもここだ 恋しきを …実際にはこれら三つの古墳の造成年代はかなり異なり、それほどの関連性は認められないのだそうですが、古墳にそういう伝説を重ね合わせた過去の日本人に思いを馳せてみてもいいかもしれません。 (2004/06/17) |
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