初めての名古屋能楽堂
さて、前回書いたように名古屋に行ってきました。名古屋自体は去年に続き二度目なんですが、前回はシテ方喜多流・長田驍師の能《弱法師》を拝見しに豊田市能楽堂に行ったので、名古屋能楽堂は今回が初めてです。しかし…とっても素敵な能楽堂でした。
まず建物が良い。そして通路に飾られている能の写真が良い。それから10分の1ミニチュアの、能の作り物の展示なんてのもありました。ハイセンスな置物としても良さそうと思って、《定家》の葛が巻きついた塚を思わず「欲しいな~」と眺めておりました。描かれた当初は物議を醸したという若松の鏡板も面白く見ました。
能楽堂を入って正面には展示室という部屋もあります。月替わりで展示内容が変わるようですが、今月は「能・狂言の『見方』」というテーマでした。装束・扇・能面などが展示されていましたが、扇が良かったですね。特に《山姥》で使われるという「月に叢雲図」の扇。月が銀色で、風流な中にも強さがあって、山姥をイメージするのにぴったりでした。
能楽堂で展示室なんてものがあるのは初めて。これも公立の能楽堂だから? しかし関西唯一の公立能舞台である奈良県新公会堂能楽ホールにはシテ方金春流・金春穂高師所蔵の能面が1~2面展示されているぐらいで、展示室はありません。あくまで新公会堂の中にホールがあるだけで、能楽専用の建物ではないからでしょう。
関西って能楽発祥の地なんですから、能楽の名家が持っている私立の能舞台ばかりではなくて、公立の能舞台が大阪か京都にあっても良いのですけどねぇ…。
伊勢門水の狂言図屏風の展示も
ところで、展示室には狂言図の描かれた屏風がありました。《末廣かり》《宗論》《千鳥》《瓜盗人》など12曲の印象的な場面が、謡やセリフなどと一緒に書かれています。《瓜盗人》はこの前「四季の狂言の会」で拝見したばかりなので、嬉しくなってしまいました。
《六地蔵》の絵に、地蔵に化けた三人のほかにもう一人すっぱが描かれているので、和泉流の絵なのかな?なんて考えていたら、この屏風の絵を描いた伊勢門水という人、名古屋の狂言方和泉流の団体・狂言共同社の創立メンバーなんだそうです。自分で演じていただけに、とっても生き生きした絵でした。
詳しいプロフィールは狂言共同社の公式サイトにありますので、そちらをご覧ください。…伊勢門水の狂言絵、月岡耕漁の《能楽圖會》と並んで、手元に置きたくなってきました(笑) 画集とかないものでしょうか。手が出る金額なら買ってしまいそう。
名古屋を本拠とする和泉流狂言師の結社。明治前後に名古屋在住の名家狂言師が死亡あるいは上京して不在となったので、1891年(明治24)6月、角淵宣(弁護士)、初世井上菊次郎(仏具商)、伊勢門水(旗商)、河村鍵三郎(酒造業)ら7人の素人弟子が創立員となり、名古屋伝来の山脇和泉派および野村又三郎派の芸統保持を目的として結成、伝書・面・装束などもしだいに収集・整備した。(中略)いずれも他に生業をもっているが、よく創立時の目的を伝承し、意欲的に舞台活動を続けている。1956年(昭和31)11月から77年5月まで機関紙『狂言』(年9回刊)を発行した。
『新訂増補 能・狂言辞典』
こんにちは、挿頭花です。
名古屋能楽堂は舞台だけでなく、楽屋も総檜張りだそうですよ。楽屋入口に白靴下が山積みされていて、素足厳禁だとのこと。(数年前の話ですが、今でもそうだと思います。)
国立能楽堂にも展示室はありますよ。
先日行った時は、「江戸時代の能楽」といテーマで、狂言絵や寺子屋で使っていた(?)謡本、勧進能の様子を描いたものが飾ってありました。
その絵で、舞台上でも腰に刀を差しているのを見て、なるほどこれが今は扇なのね、と妙に納得。
それにしても、刀を差したままだと大鼓は打ちにくいのでは?・・・余計な心配ですけど。(笑)
名古屋能楽堂は一度行きました。
1年おきに鏡板を替えるらしく、私が行ったときは例の若松ではなかったと思います。
★挿頭花さん
楽屋入口に白靴下が山積み。
なんだか想像してしまって、笑えました(笑)
大阪の国立文楽劇場にも小さいながら展示室や書籍を
読むことができる場所があるので、
国立能楽堂にも似たような施設はあるだろうな~とは
思っていたのですが、いい加減なことは書かなかったのです。
「江戸時代の能楽」、良いなぁ。
最近、江戸時代の能楽が熱い!と好きな時代です。
(その割りに無知ですが)
寺子屋で教材として謡本を使っていたという話は聞いたことがあります。
小謡の形で謡っていたのかもしれませんね。
扇は刀だ、とよく言われますが…確かに差したままでは
大鼓は打ちにくそうですね。
ただ舞台に座ると、すぐに扇は抜いて横に置きますけれどね(笑)
★みゆみゆさん
鏡板は1年ずつに替えると聞いていたので、若松か老松か
どちらかなと思っていたのですが、若松で、
これが名高い名古屋の若松かと思ったものでした
老松の方も、展示室の端に展示されていました。
那古野神社の天王祭(江戸時代に名古屋三大祭といわれた)を調べていたら、伊勢門水の名が出てきました。
伊勢門水は「名古屋祭」(明治43年発行)という本も出していたそうです。
ミニチュア作り物、私も欲しいです!
伊勢門水、狂言だけではなくて、
他にも精力的に活動していた人物のようですね。
狂言共同社のサイト掲載のプロフィールにも
「ともかく名古屋、それも大須の生んだ一大奇人、風流人であった。」
とありますし。
伊勢門水のような人物が現れた明治という時代と、
名古屋という土地の二つの背景に少し興味が出てきました。
興味ばかり増えて、困りますが(^^;)
ミニチュア作り物、欲しいですよね~。