日伊喜劇の祭典

狂言とコンメディア・デッラルテ

昨日は「日伊喜劇の祭典 狂言とコンメディア・デッラルテ」を見に、名古屋能楽堂まで行って来ました。この催し、「四季の狂言の会」でお世話になりました善竹忠重師・忠亮師親子と打ち合わせの際などにコンメディア・デッラルテの話をお聞きしたのですが、そこから興味をそそられたのです。

別に名古屋まで行かなくとも29日に京都公演、30日に大阪公演もあるのですが…休みが取れなかったものでして(^^;) 東京公演中にも休みがないわけではないのですが、東京はやっぱり遠い、でも名古屋なら、と日帰りで行って来ました。

コンメディア・デッラルテは、16世紀中ごろに北イタリアで生まれた、仮面を使用する即興演劇。18世紀頃にかけてヨーロッパで流行し、現在もなお各地で上演され続けているそうです。Wikipediaの解説によると、

コンメディア・デッラルテの登場人物は、それぞれ特有の名前を持ち、性格・服装・仮面・演技スタイルなどに類型的な特徴を備えている。例えば、『パンタローネ』はあご髭を生やした年寄りの商人で、偉そうな態度を取るがだまされやすく好色。『カピターノ』は軍人で、戦いの自慢話ばかりするが臆病者、といった具合である。
 こういったキャラクター群は、ストック・キャラクターと呼ばれる。ストック・キャラクターから選んだ幾つかの登場人物を俳優達が演じ、不倫、嫉妬、老いの悩みや滑稽さ、恋愛などを題材とする類型的なシチュエーション(ストック・シチュエーション)での物語を、即興的に展開していく。
コンメディア・デッラルテ – Wikipedia

だそうで。そういうと、狂言も「太郎冠者」「主人」「大名」「女」「山伏」といった類型的な登場人物が、ある程度パターン化されたシチュエーションで物語を展開していくわけで、似ているなぁ、と思ったのです。

実際にイタリア喜劇《Bilora》を見てみた

そんなわけで拝見したイタリア喜劇《Bilora》。イタリア語の上演なので、言葉が分からないわけですが、その前に狂言風に翻案して日本語で演じられる《いたち》を見ているので、だいたいの状況は分かります。

面白かったのは、二本の棒を使って空間を演出すること。窓?になったり、扉になったり。二本の棒を持っている人は、パンフレットに「召使(Zanni)」の役とあったので、太郎冠者みたいな役かと思いきや、どちらかというと後見にあたるようです。召使としての性格がないわけではないのですが。

それから仮面を使用する、といっても顔の上半分だけが隠れる半仮面。確か、亡くなられた野村万之丞師が『心を映す仮面たちの世界』で紹介されていた覚えがあります。顔の上半分で役の性格を固定化する働きがある一方で、口を使った演技があるという意味で、能面・狂言面の使用法に慣れた私には、とても新鮮に感じました。

実際の演技としては、古い喜劇映画などにある、かなり激しいアクション。あのようなイメージを受けました。そのため、あまり能舞台には合ってないかもしれません。しかも言葉も分からないわけで、大変興味深くはありましたが、「楽しむ」のレベルまでは達しなかったというのが正直な感想ではあります。でも、逆に、外国人が狂言を見たら、そんなものかもしれないとも思いましたけれど。

《Bilora》の狂言風翻案《いたち》

ところで《Bilora》の前に、狂言風に翻案して日本語で演じられた《いたち》は…正直微妙。初めはイタリア人の演者のみの場面だったのですが、その辺りはしっかり狂言のテンポだったので見事だなぁ、と思っていたのですが、途中からテンポというか、流れが切れたり淀んだり。狂言風だけど狂言になりきれず。でも中途半端に狂言で。なんか変なものを見たなぁという印象です。

結末を原作と変えてあります。これも狂言風にしたかったが故でしょうが、上手く処理しきれてなくて、これなら原作どおりの方が良いのになぁと。狂言方の出演だからと狂言風に演じるよりも、狂言をあまり気にせずに、普通の喜劇として演じるといった感じの方が良かったのではないかな、という気もしました。でも、『Bilora』の予習としては良かったです。

新作狂言《濯ぎ川》を初めて見ました

ところで、コンメディア・デッラルテとは別に、私が楽しみだったのが新作狂言《濯ぎ川》。劇作家の飯沢匡さんがフランスの中世喜劇《Le cuvier》を翻案したもので、初めは新劇向けだったのを茂山千五郎家が狂言として改作・演出し、後に飯沢さんから大蔵流に贈られたもの。それ以来、千五郎家では頻繁に演じているそうですが、今回は茂山あきら師をゲストに、善竹忠重師・忠亮師が演じられました。

新作狂言というと、今まで見たものにはどこかに違和感があったものですが(帆足正規師作、茂山あきら師・千之丞師で拝見した新作狂言『維盛』は好きですが)、《濯ぎ川》は見事に狂言でした。忠重師・忠亮師の演技もステキでしたが、今回輝いていたのは姑役だったあきら師。面の使い方がとっても効果が上がっていて。それにしてもお声といい、千之丞師そっくりだと感じました。

なお、ちょうど今月10日にあった「善竹兄弟狂言会」でも、善竹隆司師・隆平師が茂山千三郎師と演じられたそうです。善竹家で『濯ぎ川』ブームなんでしょうかねぇ。

日伊喜劇の祭典 狂言とコンメディア・デッラルテ

◆6月24日(日)14時~ 於・名古屋能楽堂(名古屋市中区)

★大蔵流狂言『濯ぎ川』(作:飯沢匡 演出:武智鉄二)
 シテ(聟)=善竹忠重 アド(姑)=茂山あきら アド(妻)=善竹忠亮

★狂言風翻案『いたち』(原作:アンジェロ・ベオルコ 翻案・演出:関根勝)
 老商人=善竹十郎 太郎冠者=善竹富太郎 女=善竹大二郎
 むじな=ルーカ・モレッティ いたち=サルヴァトーレ・マッラ

★『Bilora』(原作:アンジェロ・ベオルコ 演出:井田邦明)
 ビローラ=ベニアミーノ・カルジェッロ ディナ=アンジェロ・カロッティ
 召使=エリザベッタ・モッサ ピターロ=リリアーナ・ディカロジェッロ
 アンドロニコ=サルバトーレ・ディ・ナターレ

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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9件のフィードバック

  1. mari より:

    トラックバック有難うございました。私は能、狂言は全くの素人なのでこちらのサイトは専門家の方で、驚いております。大変、勉強になりました。

  2. hyanjik より:

     某Mから飛んできました。濯ぎ川は、本当、こなれている良くできた新作狂言だと思います。しかも茂山家、みなさんお得意なんですよね。鎌腹と並んで。
     「いたち」は、中途半端でした、私にとって。もっと狂言しちゃうか、現代喜劇の狂言様式にするかかなあ・・。偉そうにすんません。
     能楽堂でする意味づけがあいまいというのかしら?今回の公演を観て、そう感じました。
     これからも遊びに来させて下さいね。

  3. ぼのぐらし より:

    この公演の問い合わせ先のメールアドレスですが、
    公演情報の欄では、アンダーバーの箇所が、
    ハイフンになっています。
    問い合わせてみて気づきました。
    mas_sekine@nifty.com
    が正しいです。
    ご参考までにて。
    私は土曜に見に行く予定ですが、ちょっと期待。
    イタリア語の台本あるいは対訳でも入手できれば、
    いいなあと思っています。
    見もしないで何ですが、こういう異文化クロス行事?には、至る所でのずれを楽しむ余裕も必要かなという気もします。

  4. ★mariさん
    初めまして。
    他の方の感想、という意味で、いろいろ検索して探してしまいました。
    偉そうに書いてますが、専門家でも何でもない
    狂言好きな一素人の感想です。良ければまたどうぞ。
    ★hyanjikさん
    コメントありがとうございます。
    私はあまり千五郎家の会に行かないものでして。
    『濯ぎ川』は初めて見ました。
    (見たことがない狂言を見たい、という思いもあって、
     この会を見に行った面もあります)
    本当、上手く狂言風に演出されていて、感嘆してしまいました。
    善竹忠亮師のブログには
    「『濯ぎ川』は今日初めて違うバージョンでやってみました。
     明日から毎回バージョンを変えてやってみます。」
    とあって、違うバージョンもあると思うと又見たくなってしまいます(笑)
    『いたち』は、私も中途半端に感じました。
    『Bilora』はいかがでした?またお聞かせください。
    ★ぼのぐらしさん
    問い合わせ先の間違いのご指摘ありがとうございました。
    チラシを見ても確かにアンダーバー。申し訳ございません。
    今更ですが、早速訂正させていただきました。
    確かに「勉強」「研究」っぽく見るには対訳か、
    せめて読めないなりにもイタリア語の台本があった方が良いですよね。
    もっとも、イタリア語はかなり方言(俗語?)が多いそうですが。
    翻案で、逐一対応しているわけではないですが、
    先に演じられる狂言風翻案『いたち』のおかげで、
    『Bilora』のそれぞれのシーンやセリフが、
    どれに対応しているかは分かりやすいですよ。

  5. ぼのぐらし より:

    蛇足を。
    コンメディア・デッラルテにどうして関心を持ったのか、と考えると、
    確か、フランス?の版画家カローCallotのイタリア仮面劇を扱う一連の版画連作があり、ドイツの作家ホフマンHofmannがそれをイメージとした短編集を作った(これは持ってます)。それを、オッフェンバッハOffenbach?がさらにオペラ・ホフマン物語の素材にしたのだったかな(この辺は怪しい)。
    でその、カローの版画をどこかの本で見た記憶があるのだけれど、思い出せず。

  6. hyanjik より:

    >『Bilora』はいかがでした?
    言葉がわからないもどかしさを痛感しました。あらすじは
    わかってはいるのですが、口開けに男性とお供が歌うあの歌の
    意味さえわかれば、いいのではないかと思います。
     役割がはっきりしているところ、女性がわわしそうなところ、
    仮面を用いて個性を表すところ、棒2本で空間を作るところ等は、狂言に類似しているように感じました。
     狂言が人間賛歌とするならば、ちょいとニヒルな人間賛歌がコンメディア・デッラルテなのかしらと思いました。
     

  7. ぼのぐらし より:

    調べていたら、Callotの版画が載っていたのは、
    全集の別の巻に入っていた、王女ブランビッラPrinzessin Brambillaでした。
    巻末の解説に、コンメディア・デッラルテへの言及がありました。

  8. ぼのぐらし より:

    見てきました。
    感想は、自分のサイトに書きました。

  9. ★ぼのぐらしさん
    イタリア仮面劇を扱った版画家がフランスの人で、
    その版画をイメージした短編を書いたのがドイツ人ですか~。
    ヨーロッパはやっぱり国際的ですね(笑)
    最近では、能・狂言以外の古典芸能(落語や文楽、歌舞伎)や
    日本画家の絵などには興味が広がってきましたけれど、
    海外のものまではまだまだです。
    (日本の芸能だって、ろくに知りもしませんが
    ★hyanjikさん
    『Bilora』の感想、わざわざありがとうございました。
    コンメディア・デッラルテの方が狂言に比べて
    「ちょいとニヒル」というのは私も似た印象を受けました。
    ただ、仮面に関しては、狂言は仮面(狂言面)も使いますが
    基本的に素顔(直面)で演じる芸能ですよね。
    対して『Bilora』の出演者は全員が仮面か化粧をしていました。
    仮面も半仮面で、口による演技があるという点は
    むしろ対照的に感じました。