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おとしばなし「吉朝庵」 桂吉朝 東芝EMI 1999-10-14 by G-Tools |
前からなんとなく聞いてみたいなあ…と思いながら、聞かぬままに亡くなられた落語家・桂吉朝さん。せめてとCDを聞くこの頃ですが…良いです。
きっちりした語り口、うんちく深いマクラ。落語として、モロ好みな芸風です。その分、何度か生で聞くチャンスもあったのに、なんで行かなかったんだろ…と後悔は深まるばかりですが。
CDには、親交の深かったわかぎゑふさんが吉朝さんについての文章を載せてらっしゃるんですが、歌舞伎など芝居好きで酔うと六法を踏むのだとか、買った鼓が嬉しくて、わかぎさんの事務所に鼓打ちながらやって来たことがあるといったエピソードが載せてあって、正直立派な変人(失礼)だと思いますけれど、私も似たような気持ちはよく抱くので(気分良くなると謡いたい舞いたい、大鼓や太鼓を打つ真似をついしてしまう・笑)、一気に親しみを持ってしまいました。
そういう意味では『七段目』なんて、彼の真骨頂だったのでしょうか。歌舞伎狂いの若旦那が登場する噺で六法踏みながら帰ってくる場面など、実際にはお会いしたことはない吉朝さん自身を想像してしまいます(笑) 父親との受け答えも歌舞伎のセリフ、手稚の定吉が同じく歌舞伎好きと知ると、二人で『仮名手本忠臣蔵』の七段目をやって遊んでしまう。落語だから大袈裟ではありますが、私、そういう楽しみ方好きだなあ。
狂言でも上機嫌だと謡ったり舞ったりして帰ったりしますよね。そういうのはホントは人間の原始的な欲求なんじゃないでしょうか。日本に限らず世界中どこでも。
桂吉朝さんの落語、私も生で聴きに行かなかったことを悔やんでおります。
茂山家と積極的に活動をされていたこともあり、行こうと思えば行けたのですが…
桂枝雀さんもそうでしたが、吉朝さんもとても早世で、残念です。
★peacemamさん
確かに狂言にはありますよね。
例えば『蝸牛』の「雨も風も吹かぬに…」なんて部分、
山伏の術なのかもしれませんが、とても楽しくて嬉しくなってしまうのは
人間の根源的な部分と繋がりがあるからかもしれません。
能の舞だって、ストーリーとして必然性がある物も多いですが、
その一方で必然性のない舞ってあるじゃないですか。
特に序之舞だと。シテの内面の露出として舞う、という面も
ある気がします。
★ももたろさん
「行こうと思えば行けたのに」というのは後悔しますよね。
私が落語に少しずつ興味を持ち初めていたころの話で、
今度聞きに行こうと思っていた矢先に、亡くなられたので。
残念です。
思います思います!
観ていて引きこまれる「序之舞」と眠くなってしまう「序之舞」の差はシテの技量もさることながら内面性の差もあるんじゃないかと思っています。
おぉぉ! なんだか通じて嬉しいデス(^^) 序之舞。