奈良県川西町の川西文化会館で催された「大和猿楽サミット~広めよう能楽の輪 大和の国から世界へ」へ行ってきました。
内容としては法政大学教授の表章先生と大阪大学教授の天野文雄先生という、現在の能楽研究の中心人物といってもよい方々による対談「世阿弥の生涯を語る」と、能楽座による公演(狂言『寝音曲』茂山千作師、能『三山』大槻文蔵師)でした。
私が興味があったのは対談の方ですが、世阿弥の生涯の半分ほどまで語られたところで予定時間の1時間半が終わってしまい、「残りは来年に」と天野教授が仰られてましたけど、続きが気になります(^^) 天野教授はお話が上手で、好きなんです。
ところで川西文化会館がある場所の住所は奈良県川西町結崎。観世流の元になった「結崎座」ゆかりの土地です。文化会館から少し歩いたところには、昔、翁面と一束の葱が天から降り下ってきたという伝説のある「面塚」があり、結崎という土地であることから「観世流発祥の地」の碑とともに整備されています。周囲は先代の観世宗家・観世左近師以下、整備に寄付をした観世流の能楽師の名前が書かれた玉垣で囲まれて、かなり壮観な眺めとなっています。
川西町はサイトのトップに「観世能発祥の地」と載せてますし、観阿弥の命日(5月19日)にちなみ毎年5月最後の土曜日に「結崎能」を催しています。今回、私は少し早く着いたので文化会館内にある川西町立図書館にも行きましたが、その図書館でも能・狂言関係の資料がたくさん集められていてびっくりしました。
そして、去年の3月に出版された『川西町史』には「能楽編」がわざわざ設けられている! しかも著者は表章教授。川西町の「観世能発祥の地」への姿勢は本気ですね。驚嘆しました。
しかし、『川西町史』能楽編を読んでると…結崎と観世流能との関わりって、実際にはあまりないそうですね(^^;) 「大和猿楽サミット」の対談でも表教授が少し仰ってましたが、「結崎座」という座は名前から言って結崎と関わりがあるはず。
しかし、「結崎座」は『翁』を専門に演じるための集団で鎌倉時代ごろには成立しており、後に能や狂言が加わったのだそうです。『翁』の直後に演じられる能・狂言を「脇能」「脇狂言」というのは、あくまで主体が『翁』であった名残りなのです。
観阿弥や世阿弥は結崎座に参加して活動した能役者であるのは間違いない。しかし、そのころには「結崎座」と結崎の関係を示す証拠はなく、結崎との関係は持ってなかったらしいのです。だから、観阿弥が結崎で座を作ったとか、結崎に住んでいたとか、という話は憶測や伝承以上のものではないそうなんです。
観世流との関係を強調してきた川西町が、それを否定するような本を出版している。能楽編のはじめに「研究の進展がもたらした学説の変化の実態を、読まれた町民各位が正しく把握なされ、今後の川西町と能楽との関係の在り方についてお考えになる際の参考にしていただければと願っています」と書いている川西町の姿勢。ちょっとカッコいいなぁ、と感じました。
…もっともホームページトップから「観世能発祥の地」ってのは外さないみたいですが(^^;)
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