前に、月刊『観世』の平成17年8月号から1年間に渡って連載されていた「江戸時代能楽繁盛記」のことを紹介したことがあります。
能楽史において江戸時代といえば、観世・金春・宝生・金剛・喜多の五座の猿楽(能楽)が武家の式楽として位置付けられていた時代ですが、実際には決して武家にだけに占有されていたわけではなく、特に上方(関西)においては、五流の能とは異なる独自の能楽文化が花開いていたことを紹介する連載です。私は連載が続いた間、毎回楽しみで、『観世』を買ってはそのページを拡大コピーしてファイルに入れてました。
その連載をされていた宮本圭造先生(大阪学院大学助教授・日本芸能史)の大著がこの『上方能楽史の研究』です。「江戸時代能楽繁盛記」のページの端っこに繰り返し広告が載ってたので、つい買ってしまいました。実に15,000円也。Amazonのクレジットカード支払いで買いましたけれど、支払いのあった1月は他にもお金の要る月でしたので、安月給の身でもあり、少々生活が苦しかったです(汗) 本当にクレジットカードの利用は計画的にせねばなりませんね(笑)
あくまで分かりやすく、噛み砕いて書かれた「江戸時代能楽繁盛記」に比べると、やっぱり難しかったです(笑) 研究書ですもの、当たり前ですけれどね。特に引用された資料の原文が読みづらかったです。一応、私、大学では歴史を専攻してたのである程度の知識はあるのですが、それでも古代と近世では資料の雰囲気も違うようで…(^^;) そんなわけで、本の真ん中ほどにある「資料篇」はほとんど飛ばしてしまいました(おい)
それでも、より広い能楽の歴史を教えてくれるこの本は楽しくて、時間を惜しんでひたすら通勤途中に読書に勤しんでました。資料篇を除いても、15,000円の価値は十分。基本的に私は歴史愛好者なので、「能楽史」という分野は、ひたすら楽しい分野なのです。
さて内容ですが、とりあえず目次を挙げてみましょう。
【本文篇】
序章 手猿楽の発生と展開
第一章 江戸前期京都能楽界の動向
第一節 公家社会と能楽
第二節 その後の手猿楽渋谷
第三節 神松頼母考
第四節 能大夫小畠了達とその一族
第五節 進藤家の人々
第六節 日吉社神事能と京都の能役者
第二章 南都禰宜衆の演能活動
第一節 江戸前期奈良能楽界の動向
第二節 南都禰宜衆の演能活動
第三節 神事猿楽の動向
第一節 猿楽喜志大夫考~紀伊の神事猿楽~
第二節 播磨の神事猿楽
第三節 丹波猿楽の近世~江戸期日吉大夫の系譜~
第四章 畿内諸藩の能楽
第一節 紀伊徳川藩の能楽
第二節 宇陀松山藩の能楽
【資料篇】
資料一 江戸前期の禁裏・仙洞能
資料二 洛中洛外の勧進能~元禄以前~
資料三 紀伊藩お抱え役者の系譜
【付篇】近世芸能をめぐる諸問題
第一節 近世の女舞
第二節 古浄瑠璃史再検
第三節 和歌浦東照宮奉納の操り芝居図絵馬をめぐって
~和歌山における芝居興行の一側面~
第四節 中村如水と坂田藤十郎~元禄歌舞伎と能~
第五節 箕面瀧安寺大般若経と歌舞伎役者~元禄歌舞伎の新資料~
あとがき
…とってもたっぷりなので、全部紹介できませんし、私にそれだけの力もありませんが、この『上方能楽史の研究』を読んでいて、個人的に一番楽しかったのが、第二章第二節の「南都禰宜衆の演能活動」です。
南都つまり奈良の春日大社の下級神職であった禰宜たちが、能役者としてかなり活発に活動していた様子を、丹念に資料などから紹介・整理された文章です。100ページを越えており、この本の「一節」としては、もっとも分量があります。
南都禰宜と能楽というキーワードから思い出すのが、大蔵虎明(1597-1662)の著書『わらんべ草』にある「狸ノ腹鼓は、奈良禰宜とっぱという者、作りはじめしと也」という文章。南都禰宜の狂言役者・とっぱが、現在、狂言の最高秘曲とされている『狸腹鼓』を作ったという話です。ほかの書物には「トツパといふ一流の狂言師の祖」と書かれているそうで、狂言史に大きな足跡を残す人物ですね。
(一昨年まで茂山千五郎家の若手6人が催していた会「TOPPA!」の名前も、この南都禰宜の狂言役者・とっぱに由来します。TOPPA!の最終公演で、茂山千三郎師が『狸腹鼓』を披かれたのは、ちょっと印象的。)
南都禰宜でもっとも活躍が目立つのは狂言方ですが、もちろん他のシテ方・ワキ方・囃子方も揃っており、地元の大和だけではなく伊勢・紀伊の神事猿楽や、京都の禁裏(皇居)や仙洞御所(上皇の御所)の御用を勤めることもありました。また、中には大名家に能役者としてお抱えになる者もいて、”神主さんの余技”というレベルではない、本格的な演能集団だったようです。
論文の最初には、春日大社の禰宜で、同時に高安流のワキ役者として長州藩のお抱えになっていた「山本新右衛門」という人物が御師をつとめ、金剛座のワキ方であった「高安彦太郎」が春日大社に寛保2年(1742)に寄進した石灯籠のことも紹介されていました。二ノ鳥居をくぐったすぐ右手に立っているそうです。さらに「春日社の石灯籠の中には能役者の寄進になるものがいくつかある」と書いてらっしゃいますので、それを探すのも楽しいかも知れませんね。
活発な活動を行っていた禰宜役者たちですが、江戸時代の末になると衰退し、明治5年に春日大社から神職を免じられ、さらに各藩お抱えになっていた者たちも廃藩置県を受けて失職し、その活動は停止します。中には専業の能楽師に転職して活動を続けた元禰宜たちもいましたが、その末裔として確認される最後が、狂言方大蔵流の「中垣利幸」という人物です。
最後の”禰宜役者”中垣利幸は、祖父・父が明治30年台に相次いで没した後、「由緒ある狂言師中垣の家系がこのまま絶えてしまうのは惜しい」と母親や春日若宮おん祭の関係者が心配して、明治40年、14歳で十世茂山千五郎(二世茂山千作)に入門。おん祭での『鈴之段』を毎年勤めるほか、京都・大阪で千五郎とたびたび共演。大正10年には祖父・父の追善会で『釣狐』を披くなど、活躍したそうです。しかし悲しいかな、昭和2年に35歳で夭折。禰宜役者の系統を引く能楽師の家系は絶えてしまいました。
春日大社に詳しい知人に、南都禰宜の能役者たちの話をしたところ、今でも春日大社の摂社「水谷神社」の祭礼に関係して、大藏家が一部の神職の方にお稽古をつけているということですが…かつては能・狂言の一座を組んでいたという話を聞くと、狂言だけというのはなんだか寂しいような気もしますね。
奈良の能・狂言の歴史はわからないながら、おもしろそう。
おん祭りの雅楽、いつか見に行きたい。
興福寺や春日大社と演者集団の関係も歴史的興味をそそる。
★ぼのぐらしさん
こんにちは。コメントありがとうございます。
奈良は、今の能楽の元となった
大和猿楽の出身地だけあって、歴史的に興味深い場所です。
観世・金春・宝生・金剛の四座は、もともと
興福寺・春日大社に参勤していた集団ですし。
"とっぱ"に代表される春日社の禰宜役者たちは
かなり能や狂言に堪能で、大和・伊勢・紀伊などの神事猿楽に
広く活躍していたようなのですが、面白いのは
彼らの本拠地である春日大社や興福寺(近世までは春日社と一体)で
行われる薪能やおん祭の能では、全く出演しなかったらしいことです。
薪能やおん祭の能には、あくまで大和猿楽の四座
(観世・金春・宝生・金剛)の役者が出演したみたいで。
本拠地ゆえに、却って、禰宜役者たちは
神職としての分を守らねばならなかったのでしょうか。