天野文雄『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記』講談社、1997年
織田信長亡き後を受けて天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、大の能・狂言好きでもありました。能楽を愛した権力者といえば、金閣寺を建てた足利義満や「生類憐みの令」で知られる徳川綱吉も有名です。
しかし秀吉は能楽に熱中して以来、天皇の御前で配下の大名たちを引き連れて能や狂言を演じたり(秀吉・前田利家・徳川家康による狂言『耳引』!)、また『明智討』『柴田』『吉野詣』といったような自身の事跡を新作能に仕立てたりと、他に例のない空前絶後の熱中ぶりを見せたのでした。
秀吉はまさに『能に憑かれた権力者』といえるでしょう。
この本では「能に暇なく候」とある秀吉が正室の北政所(ねね)に送った手紙を始め、大量の史料を引用しつつ秀吉が能に熱狂する様子を描き出しています。扱われているのは秀吉の天下の時代、それだけに能楽もやはり秀吉を中心に展開していますので、安土桃山時代の能楽史を展望する本となっています。また序章で秀吉以前の例も説かれているので、江戸時代以前の武将による能楽愛好の通史と見ることもできます。
読んでいて感じるのは、秀吉の能への熱中ぶりの無邪気さです。能や狂言にハマった人間なら一度は夢見るようなことを、天下人という立場にいるだけあって、現実に成してしまう…。ひいき役者を呼び付けては何番もの能を目の前で演じさせたり、混ざって自らも演じるだけに飽き足らず、天皇から出演料を賜って能役者気分を味わったり、秘曲を復活させたり能を新作して自ら演じたり…。それは、苦笑を超えて羨ましさすら感じてしまいます。
また秀吉は、能が現在の金春・観世・宝生・金剛(喜多は江戸時代に独立)の各シテ方流派に絞られる原因を作った人物でもあります。現在の五流派は興福寺薪能と春日若宮祭能に参勤していた大和猿楽の系統を継ぐものですが、秀吉の時代までは大和猿楽以外にも丹波猿楽や山城猿楽も活動していました。しかし、金春びいきだった秀吉が大和猿楽のみを保護し江戸幕府もその制度を踏襲したことで、大和猿楽以外の猿楽は解体・吸収されたのでした。例えば現在、観世流として活動している梅若家は元は丹波猿楽の系統だそうです。
あとがきで触れられていますが、長い古文は現代語による要約を乗せるなど「わかりやすさ」を意識しつつも、注に原文を掲載して決して「論の深さ」を失わない編集方針には好感が持てます。やや専門書に近い雰囲気も持ちながら、読みやすい本でした。
『能に憑かれた権力者 秀吉能楽愛好記』天野文雄 講談社選書メチエ
狂言ばかりか、能も親しんでおこうと近日は能楽本読み漁っている。
利休のわび・さびと対抗するように黄金の茶室をこしらえた秀吉は、茶ばかりを愛好したのではない。
観世座を優遇した足利将軍以来、能の鑑賞及び自演が武将のたしなみだった。
文禄二年(1593)、