会場となった大覚寺は、推古13年(605)に聖徳太子が百済の高僧日羅に命じて創建させたという尼崎最古の寺なんだとか。京都の壬生狂言を移した大覚寺狂言が伝えられていて、そのための能舞台が去年、作られたようです。寺の本堂の回廊と同じ高さに作られたのでとても高くて、見上げる感じでした。
しかし、住所が「尼崎市寺町」ですが、この周辺は本当にお寺ばっかり! 立派な塔が何本も立っていたりして、なかなか風情のある地域でした。阪神電車の尼崎駅からすぐなのに。
阪神淡路大震災と先月の脱線事故の追悼のためのイベントということになってましたが追悼色はあまり感じませんでした。
ところで、最初の挨拶によると『芦刈』はご当地曲なんだそうです。夫婦の出身地である「摂津国日下の里」はあるいは尼崎だとする説があるそうで。私は謡の中に、御津の浜とか田蓑とか、大阪市内の地名が多く出てくるので、大阪市内だと思ってましたが。
★観世流能『芦刈』
貧困のために日下左衛門夫婦は別れた。その妻は都の貴人の乳母となり、数年が経った。久しぶりに故郷の難波を訪れて所の者に夫の在所を尋ねるが、零落して行方知れずとなっているという。そこに芦売りが現れ、節巧みに謡いながら芦を売り、笠踊りを見せたりする(笠之段)。芦を買おうと呼び寄せて見ると、果たして夫であった。夫は零落した我が身を恥じて小屋に逃げ込むが、妻は言葉優しく連れ出し、新しい装束に着替えさせる。夫は喜んで夫婦の情を謡った舞を舞い、連れ立って都に上る。
個人的な話では、初めて能の舞台に立たせていただいた時の仕舞が『芦刈』。大鼓で、舞囃子を打たせていただいたこともありますし、思い入れの強い曲です。『笠之段』の仕舞や、サシ以降の舞囃子は何度も見ているのですが、実は能として見たのはこれが初めて。ようやく長い恋が実りました(笑)
シテの上田拓司師。さすがというか、カッコ良すぎます。もう全体が良かったのですが、特に言うなら曲の中ごろに「笠之段」という見どころ聞きどころがあるのですが、その直前にシテは難波潟の情景をワキに見せてまわります。そこで「や。あれご覧ぜよ」と言いながら舞台の外側を見る。それだけでパーっと景色が広がるのが感じられて…こういう能が見たかった、と感動しました(^^) 最後の仕舞部分でも「芦の若葉を」と扇で正面から幕の方まで指し回しますが、ここでも芦の原が広がっているのが感じられました。
この能の場合、ツレがワキ座に座りますしワキっぽい役割もありますが、高貴な乳母殿なので、前半のシテやアイといった「下賎の者」とは直接言葉を交わさない。その取次ぎ役としてのワキ。福王和幸師の出すぎず、品を保った雰囲気が良かったです。
アイはシテが装束を着替えている間、「私もあの男の身内のようなもの。都に連れて行ってくれ」とワキに頼み込み、「都に行ったら和歌の一つぐらい言えなくては恥ずかしい」と言い、芦に関して「物の名も所によりて変わりけり。難波の芦は伊勢のハマグリ」と詠みますが、ワキに「それは違う。私は、難波の芦は伊勢の浜荻、と承っている」と直されます(笑) ちょっとしたブレイクタイム(^^) 図々しいといえば図々しいですが、愛嬌たっぷりで憎めない里男を善竹隆平師が好演でした。
2005年5月5日(木・祝)13時半開演 於:大覚寺能舞台(兵庫県尼崎市)
★観世流能『芦刈』
シテ(日下左衛門)=上田拓司
ツレ(左衛門の妻)=藤谷音彌
ワキ(妻の従者)=福王和幸
ワキツレ(妻の従者)=福王知登・喜多雅人
アイ(里の男)=善竹隆平
地頭=大槻文蔵
笛=赤井啓三 小鼓=久田舜一郎 大鼓=守家由訓
「芦刈」は好きな能ですが、このアイはいいですよねえ。思わず「あんたそりゃ~ちゃうでぇ」とツッコミ入れたくなりませんでした?
能『芦刈』、面白かったです(^^)
良いシテで観れました。
『山姥』のアイも似たような感じですよね。
好きなアイです。