華の会

今日は湊川神社神能殿に「花の会」を見に行ってきました。兵庫県西宮市在住の観世流シテ方、吉井順一師・基晴師親子の会。この親子もわりと好きなシテ方なのに、今まで「華の会」を逃していたのです。が、開演を13時だと思い込んでいて、最初の上田悟師(太鼓方金春流)のお話をかなり聞き逃したのが残念。

少しだけ拝聴できた中では、「能のお稽古というのは、師匠から正確に習い、そして弟子に教えていくこと。それは決まった通りのことだが、その中に、どうしても自分なりの解釈や癖が加わっていく。それが能が生きて伝わるってことではないか」という言葉が印象に残りました。

ちなみに吉井順一師と基晴師は、武庫川女子大学能楽部の師匠。会が終わった時に初めて気付きましたけど、この「華の会」はその能楽部のOG総会っぽい雰囲気もあり、少し自分がいるのが場違いな気もしてしまいました(汗) 同学年の子と久しぶりに言葉が交わせたのは良かったですけど(^^)

★観世流能『西行桜』

 京都西山の西行法師の庵にある桜の花が満開で、大勢の見物人がやってくる。遠路の訪問者をすげなく断ることができず庭に通すが、西行は内心迷惑に感じ、「花見んと群れつつ人の来るのみぞ。あたら桜のとがにはありける」と和歌を詠む。その夜の夢に、木陰から桜の精の老人が現れて、「桜のとが」とは承服できないと不満を述べる。しかし、一方で西行の知遇を得たことを喜んで、京都中の桜の名所のことを語り、舞を舞い、夜明けとともに消えていくのだった。

桜といえば華やか若い女性のイメージなんですが(『吉野天人』など)、この曲は敢えて男、しかも老人の姿です。その老人が閑寂な舞を舞うのが眼目のこの曲は、今まで避けていたものです。が。今年は渋過ぎる曲にも、怖がらずチャレンジをするのが今年の目標です(笑)

『西行桜』を見るのは2度目です。前回は前半の、若い花見客たち(演者も若かった)が西行の庵に押しかける辺りは華やいだ雰囲気で、それなりに楽しめたのですが、シテの登場以降は何が良いのかほとんど分からず、眠いのを我慢して見ていたというのが正直なところ。今回は吉井順一師ならもしや、と期待しての再チャレンジです。

結果は。どこが良かったとは上手く言えませんが、「翁さびて跡もなし」と謡が終わった後も囃子が一くさりだけ余韻を引っ張ってから留め、そしてシテが作り物の塚から出て、本当にゆったりと幕に帰る。その静寂。強く存在感を示しているわけではないのに、目が離せない。謡の余韻が頭の中で自然とリフレインする。そんなステキな舞台でした。

シテがやっと二の松ぐらいにかかった時に、ワキが動き出し、囃子も床机から降りて、拍手も置き始めましたけど、欲を言えばもっと引っ張って欲しかったなぁ~。しかし、見に来て正解でした。

★大蔵流狂言『茶壷』

 栂尾で茶を買い求めた男が、途中の知人宅で降る舞われた酒に酔って道で寝てしまいます。そこに通りかかったすっぱが、男の茶壷に目を付け、担いだ縄の片方に自分の肩を入れ、背中合わせに横になります。男が起きて茶壷の取りあいになると、目代が裁きに入ります。男が茶の産地や商品説明について謡い舞いながら説明すると、すっぱもそれを盗み見て、真似をして舞います。目代は判定ができず、「論ずるものは中から取れ」と言って、茶壷を持ち逃げします。あわてた男とすっぱは一緒に目代を追いかけるのでした。

目代がちゃっかり取っていくオチが意外で大好きな狂言です。男はただただマジメなのに対して、すっぱは飄々としていて、目代に「茶の入日記を言え」と言われると「私のものだから当然言えるが、彼奴は知っているはずがない。知っているというなら彼奴から先に言わしめ」と言葉巧みに言い返し、男が入日記を謡い舞っているのをちゃっかり盗み見て、その場を凌ぎます。

ところで、善竹忠亮師と茂山良暢師のお二人がほぼ同じ舞を繰り返していましたが、忠亮師の方が声も良く出ているし、足拍子の腰も安定していて、舞の型も切れがあるように思えました。この曲、男役とすっぱ役のそれぞれの違いがよく分かりますよね。

★観世流能『山姥』

 山姥の山めぐりの曲舞で有名になった「百万山姥」という都の遊女が、男たちを連れて善光寺に参る途中、越後の上路の山にかかると突然、日が落ちた。そこへ中年の女が通りかかり、自分は実は山姥だが、例の山姥の曲舞が聞きたくて日を暮れさせたのだと言って、立ち去ります。(中入)
 夜が更けると、まことの姿の山姥が現れ、遊女の謡う曲舞に合わせて舞い、本当の山めぐりの様子を見せ、峰を伝って谷を駆けて姿を消す。

シテの出現からして不気味です。「山姥の歌の一節謡いて聞かせ給え。…その為にこそ日を暮らし。御宿をも参らせて候え」と、日を落としたのは自分なんだ、と静かに、でも強く語るのが印象的でした。ワキが応対しますが、中村彌三郎師、自分の主人である百万山姥をかばうかの立っていたのが印象深いです。

後シテは非常に強々しい部分と、繊細な部分が併せ出たステキな演技でした。山姥の恐ろしげな部分と人を助けるという善の部分。「邪正一如、善悪不二」という謡に表れている通り、矛盾せず両方が山姥の性質なんでしょうね。日本の神ってそんな性格があると思いますが、それが整理されずに、仏教的に味付けされたのがこの能『山姥』かな、と思いました。

この曲はアイの語りがまた楽しいです。ワキに「山姥とはいかなる物のなり候ぞ。語って聞かせ候え」と言われ、「さようのこと、さほど詳しくは存ぜず候。さりながら語って聞かせ候べし」と答えます。ここは類型的な部分で、そのあと、どこが「さほど詳しくは存ぜず」やねん!と思うぐらい、詳しく語ってくれるのがよくあるパターン。

 しかし、この『山姥』のアイは本当に詳しくありません。「山姥はどんぐりがなる」「野老(ところ。ヤマノイモ科の植物)がなる」「木戸がなる。すなわち、山姥とは山に棲む木戸と申し候」となどと言いますが、ワキに「それがし承るは、山に棲む鬼女と聞きて候」とツッコまれ、さすが都人は物知りだと言って引っ込みます。「木戸、鬼女。や。我が聞きしは片言にて候」とちょっととぼけた里人を善竹忠重師がお上手に演じられていました(^^)

2005年5月14日(土)12時半開演 於:湊川神社神能殿
★観世流能『西行桜-比多杖之伝』
 シテ(老桜の精)=吉井順一
 ワキ(西行法師)=福王茂十郎
 ワキツレ(花見の人)=福王知登・永留浩史・指吸亮佑
 アイ(西行庵の能力)=茂山忠三郎
 地頭=藤井徳三
 笛=赤井啓三 小鼓=清水晧祐 大鼓=大村滋二 太鼓=上田悟
★大蔵流狂言『茶壷』
 シテ(すっぱ)=善竹忠亮
 アド(男)=茂山良暢
 アド(目代)=茂山忠三郎
★観世流能『山姥』
 前シテ(山の女)/後シテ(山姥)=吉井基晴
 ツレ(遊女・百万山姥)=大西礼久
 ワキ(従者)=中村彌三郎
 ワキツレ(供人)=永留浩史・是川正彦
 アイ(境川の里人)=善竹忠重
 地頭=藤井完治
 笛=野口亮 小鼓=吉阪一郎 大鼓=守家由訓 太鼓=井上敬介

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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2件のフィードバック

  1. とと より:

    よい舞台だったようですね。他の人にもチケット配っておりましたのでひと安心。というか、読んでたら「こっち見に行ったらよかったかな~」とも思えてきました。如月深雪さんの感想も読ませていただけましたし、ありがとうございます。
    でも、私の方は私の方で「やっぱりこっち見に来て良かった」としみじみ思いました。同じ日に見たい舞台が重なるというのは切ない心持ちですなあ。

  2. ステキな舞台でしたよ。
    特に『西行桜』の最後の雰囲気は本当に良かったです。
    ありがとうございました。
    見たくなるような舞台って重なることが多い気もします。
    敢えてこの日にしなくても、と主催者を恨めしく思うことも(笑)