金剛座と石灯籠

春日大社の灯籠

春日大社の参道には石灯籠がたくさん

先週、薪御能の「咒師走りの儀」「御社上りの儀」を拝見するため、春日大社へ。実は春日社の二ノ鳥居より中に入るのはこれが初めてでした。で、参道を歩いていて、目立つのが石灯籠。

一ノ鳥居をくぐった辺りからチラホラ存在するんですが、二ノ鳥居をくぐると「どっさり」としか形容できないほど、参道両側に夥しい数! 過去から現在までの信者たちが寄進したものです。総数は3000を越えるといいます。

それらを眺めていると、ふと大阪学院大学助教授の宮本圭造先生の著書『上方能楽史の研究』春日社の石灯籠の中には能役者の寄進になるものがいくつかあるとあったことを思い出しました。中でも江戸時代の金剛座ワキ方・高安某(名前は忘れました)が寄進したものについて、二ノ鳥居のすぐ近くにあると書かれていた記憶が復活して、二ノ鳥居周辺で、いくつかの石灯籠をマジマジと眺めていたのですが…。

数が半端じゃない上に、古い石灯籠は文字が薄くなっていてよく分かりません…。しかも二ノ鳥居近くだけで軽く数十個はある。そんなで、結局見つけられずじまいに終わってしまいました。その辺を歩いている神職さんに尋ねてみようかとも思ったのですが、「二ノ鳥居の近く」「高安という姓しか分かってない」「江戸時代といっても200年以上あるし」と、私の手持ちの情報があまりに曖昧だったので、結局思いとどまりました。…残念。

帰宅してから『上方能楽史の研究』のページを開くと「すぐ右側」で、しかも写真入で載ってました。しまった、今回は私の完全な準備不足のせいじゃないか!と後悔しきりです。ちなみに寄進年は寛保2年(1742)、高安氏のフルネームは「高安彦太郎」でした。次に奈良へ行く機会には、絶対に見つけてみせます!

金剛座の石灯籠
代わりといってはなんですが、発見した「金剛座」寄進による石灯籠。でも、下に「大阪府下」云々とあったので、猿楽の「金剛座」ではなくて、大阪府の金剛(南海電車に「金剛」駅がある)周辺にあった何かの「座」なんでしょうね…。

奈良そごうの石灯籠
それから、今はなき「奈良そごう」が寄進した石灯籠もありました。

…しかし、ご利益なく2000年に閉店(^_^;) 奈良時代の左大臣・長屋王の邸宅遺跡を破壊して建てられた百貨店だっただけに、古代史ファンの私は、つい「ざまあみろ」と思ってしまいました。

残った建物は、現在イトーヨーカ堂奈良店となっています。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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3件のフィードバック

  1. ゴジラ より:

    こんばんは。ご無沙汰してます☆
    長屋王を卒論テーマにした私もざまあみろ!と思います!(笑)

  2. かえで より:

    私は「奈良そごう」はお気に入りの場所でした!
    某有名な甘味どころのお店がありましたもので(^^)
    春日さんの参道は何度も歩いてますが
    能役者さんの寄進された灯篭があったとは存じませんでした。
    次回は要チェック~~~!!!

  3. ★ゴジラ
    コメントありがとー。
    古代史仲間としての反応、嬉しいわ~。
    人物叢書の『長屋王』なんて、遺跡を守れなかったことに
    関する悲しみについて、ページ割きまくりだものね(笑)
    ★かえでさん
    私は実際には奈良そごうに行ったことはないんですよ。
    イトーヨーカ堂になってから、一度だけ。
    だから、なんていうか、中身を知らずに言ってるだけですので
    あまりお気になさらず。
    ただ、やっぱり古代史ファンとしては遺跡の破壊は
    絶対に嫌なんですよね。
    時間の経過につれて壊れてしまうのは仕方ないと
    諦められるんですが、壊してしまう行為はちょっと…。
    能役者の寄進した灯篭、あるらしいですよ~。
    ちなみに高安彦太郎が寄進した灯籠。
    御師を務めたのが「山本新右衛門」という禰宜なんですが、
    彼は春日の禰宜であると同時に、高安流のワキ役者でもあった
    人物なんだそうです。