肥前名護屋城陣屋の能舞台

肥前名護屋城の能舞台

肥前名護屋城陣屋に能舞台

佐賀県の知り合いの方から送っていただいた「名護屋城跡並びに陣跡 史跡探訪会」の資料を眺めてニヤニヤとしております。

名護屋城は豊臣秀吉が全国統一の後に大陸進出を狙った際、前線基地として建設された「天下の大城」であり、本城だけではなく、周囲には全国の大名たちの陣屋も営まれたのですが。

そのうちの一つ、当時の越前北ノ庄城主・堀秀治の陣跡の主郭から、能舞台・橋掛・楽屋の跡が確認されているとあるのです! 能楽と肥前名護屋というと、豊臣秀吉が金春流の暮松新九郎に稽古を受け始め、その後、一気に秀吉が「耽溺」と言ってよいほどに能に入れ込んでいく、そのきっかけとなった土地なんですよね。

当日の記録(佐竹義宣の家臣・大和田重清の日記など)にも、能や謡・茶の湯などを通じて、名護屋では大名同士の交友もより盛んに行われていたとありますので、他にも能舞台を備えた陣屋はあったのではないか、と期待するのですが、どうなのでしょうね。

ともかく、図面や円形写真、復元模型とか載っていて…ああ至福(笑) 今度、佐賀県に行くことがあれば、是非とも堀秀治陣屋を訪ねてみたいものです。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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