|
病床にあった源頼光の元へ、侍女の胡蝶が典薬頭からの薬を持って見舞いに来る。胡蝶は心細くなっている頼光を励まして退場する。そこへ誰とも分からない怪僧が現れ、古歌を詠じるや、頼光に蜘蛛の糸を投げかける。頼光が枕元の太刀を抜いて斬りかかると、その怪僧は姿を消す。<中入> 掛け付けて来た独武者に頼光は一部始終を語る。武装した独武者は流れた血を追って、古塚に行き当たる。それを数人の従者とともに崩していると、塚の内より土蜘蛛の精が現れる。土蜘蛛の精は蜘蛛の糸を投げかけ独武者たちを苦しめる([舞働])が、独武者はついに斬り伏せ首を落として都へ帰る。
◆源頼光(みなもとのよりみつ)
シテがぱーっと糸をツレやワキに向かって投げかける『土蜘蛛』。能の中で最も派手な曲の1つだと思います。大学の能楽部の新人勧誘公演には、この『土蜘蛛』の仕舞を舞うところが多いようです。やはりビジュアル的にインパクトが強いですからね。 この『土蜘蛛』に登場する土蜘蛛とは、単なる蜘蛛の化け物ではありません。後シテが登場する時の謡に 汝知らずや我昔。葛城山に年を経し。土蜘蛛の精魂なり。なほ君が代に障りをなさんと。頼光に近づき奉れば。却つて命を断たんとや とある通り、『日本書紀』『古事記』『風土記』などの古文献に登場する、大和朝廷に敵対した「まつろわぬ民」のことでした。一方の頼光は天皇家と同じ「源」を持つ源氏の武士の棟梁であり、多くの「人外の者」たちを倒した武勇伝の主人公です。いわば朝廷の武士。だからこそ土蜘蛛は頼光を狙ったのですが、却って朝廷側に攻められてしまうのです。 『日本書紀』神武即位前紀、己未年2月20日条には「新城戸畔(にいきとべ)」「居勢祝(こせのはふり)」「猪祝(いのはふり)」という3名の名前を挙げて、「この三処の土蜘蛛、並びに其の勇力を恃みて来庭を肯えず。天皇、乃ち偏師を分遣して皆これを誅す」と書かれています。つまり、従わなかったので、滅ぼしたという意味です。 同じ記事には「そのひととなり、身短くして手足長し。侏儒と相類す」と記述がありますが、「侏儒」を辞書で調べたところ、小さい人もしくは蜘蛛のことだそうです。本来は朝廷に従わない人を賤しめる意味で「小さい人」として使ってたのを、さらに意味に人を含まない「蜘蛛」の意味に変え、その結果、彼らは土蜘蛛となっていったのでしょうか。 さて前ツレの胡蝶に関して。この胡蝶は少し登場して、頼光に薬を届けるとすぐに退場してしまいます。ストーリーの上で何か意味があるのかな、と思ったりしていたのですが。胡蝶が退場する時に謡われる地謡の上歌は 色を尽くして夜昼の。色を尽くして夜昼の。境も知らぬ有様の。時の移るをも。覚えぬ程の心かな。げにや心を転ぜずそのままに思ひ沈む身の。胸を苦しむる心となるぞ悲しき とあります。もちろん表向きは、病気の頼光のために「色々と手を尽くす」とか、病状が悪いがために「夜昼の境も分からない有様」「時の移るのも分からない程の心」とか、「思いに沈む」「胸が苦しむ」なわけですが、和歌の伝統を引く謡には、掛詞で裏の意味もある可能性があります。 私が思うのは、最初の「色」を「艶」の意味だと考え、頼光が胡蝶に恋心を持っているのではないかということです。となると頼光の病は「恋の病」というヤツなのでは。そういう関係を弁えれば、胡蝶と頼光の問答の中に「昨日より心も弱り身も苦しみて。今は期を待つばかりなり」と武士の棟梁らしからぬ弱音があるのも納得行きます。 そして、胡蝶は上歌の間に土蜘蛛と入れ替わるのではないでしょうか。もともと胡蝶という女性が土蜘蛛の手先だったのかは分かりませんが、ここで入れ替わるのです。胡蝶が姿を消すことは謡われず、そのままシテの謡につながることからの想像です。また現れたシテが「我が背子が来べき宵なりささがにの」と古歌の上の句を詠じますが、これは『日本書紀』『古今和歌集』に記されている衣通郎姫(そとおりのいらつめ)が允恭天皇と詠みあった恋歌です。 我が背子が来べき宵なりささがにの もちろん「ささがに」で切ることによって「蜘蛛」を導き出す枕詞とする意味もあるのですが、敢えて恋歌をしようしたところに、胡蝶と頼光との関係の延長を感じるのです。 思えば、「蜘蛛と胡蝶」というのも食い殺しを髣髴とさせる組み合わせです。併せて、『日本書紀』神功紀に登場する田油津媛(たぶらつひめ)のように、土蜘蛛の首領がしばしば女性であったことも連想したりします。 (2003/11/17) |
|