|
源平の戦いで西国へ都落ちした平清経の宅には、妻が寂しく留守を守っている。そこへ夫の自殺を知らせる使いの淡津三郎が来て、遺髪を届ける。あきらめきれない妻は、三郎に形見を突き返すが、泣き伏した妻のうたた寝の枕もとに清経の霊が現れる。 妻は戦死か病死ならともかく、自分を置き去りにして自殺するとはと、怨み嘆くので、夫は死の動機を物語って慰める。清経は追われる者の焦燥と無益な抗戦への懐疑から、ついに死を決断し、ある夜、月を仰いで愛用の笛を吹き、念仏を唱えて舟端から身を投げたのだった。死後、清経は修羅道に堕ちていたが、念仏の功徳で成仏することができたといって消え失せる。
この『清経』には「恋之音取」(観世流)・「音取」(宝生流・喜多流)・「披講之出端」(金剛流)という小書があって、そうなるとシテが幕から出てくる直前の下歌の途中から囃子もなくなり、地謡だけで沈み行くかのような雰囲気を醸し出し、そして、静かに笛方が前に進み、「音取」という静かな笛の独奏の内に霊が現れるという演出になります。 シテは笛に乗って橋掛りを進み、笛の音が止むと止まり。幕の向こうはあの世で、橋掛りはあの世とこの世を繋ぐ橋、笛は亡者を呼び寄せる咒、ってイメージすらあります。印象を深くするために、派手にするのではなくて逆に、ただでさえ少ない能の楽器演奏から大小鼓を除き、地謡まで除く。こういうのが能の真髄だなぁ、と感じるばかりです。 ところで、この『清経』に関して、私の愛用する『能・狂言辞典』には「夫婦の愛情の深いきずなを思わせる」とか「夫婦のこまやかな愛情」だとか書かれてます。しかし、私はそこは実は本題とは違うのではないかな、と思っています。 もちろん確かに、この夫婦の絆の深さはいろいろな箇所で描かれています。例えば淡津三郎がやってきた時、妻が直接応対に出ています。 妻「人までもなし、此方へ参りて候 当時の高貴な女性は、男性である夫の部下に直接会わず、侍女などを介して話を聞くのが普通でした。能『小督』でも侍女がいますしね。でも、直接会っているのは、離れていた夫の近況が聞ける、という嬉しさのあまりのためでしょう。また清経も妻を思ってこそ、わざわざ形見を残したのです。 それでいながら、妻はどうしても夫の死を理解できません。夫はせっかく遺した形見を返す妻の気持ちが理解できません。お互いが想いあっているのに、解り合えない。そのことは次の謡によく表れているように思います。 清経「別きて贈りしかひもなく。形見を返すハ此方の怨み 夫は懸命に死ななければならなかった理由を語ります(サシ・クセ)。これは美しすぎるぐらいに語られています。季節は晩秋。時は夜。あてもなく漂う船団は紅葉の一葉に、源氏の白旗は白鷺の群と謡われています。西に傾く月もあり、その月に私も西方にある阿弥陀浄土へ連れて行ってくれ、と念仏を唱えて…。 それを清経が語り終えた後でも妻は納得できず、こういいます。 その時、清経は修羅道の苦しみに襲われます。その最後の謡に 深く愛し合っている男女の仲でも、分かり合えないことはある…。私は『清経』に対して、こんな印象を持ってます。特異な見方かもしれませんがね(^^;) (2004/04/11) |
|