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(1)総序
私程度で『翁』について語ろうなんて、おこがましい話ですが、何度か見て思ったことなどを書きます。 天下泰平・国土安穏を祈祷する曲で、能楽師が演じますが能ではない演目です。本来、大和猿楽の四座(結崎・外山・円満井・坂戸。後には現在の観世・金春・宝生・金剛の各流に繋がる)は『翁』(元々は『式三番』といった)を神前で行うことを本業とした集団だったそうですが、世阿弥のころになると、一般の能(ストーリーのあるものを「能」と呼んだそうで、当時は猿楽能の他に田楽能も存在しました)も演ずるようになり、そして能の方が活動の中心となっていったといいます。しかし、世阿弥もまた「申楽の元芸」として重んじていました。 そういう流れがあってか、『翁』は他の芸としての能とは別に扱われます。上演こそ能楽師によって行われますが、囃子は千歳・翁の舞の間は笛1人小鼓3人で演奏しますし、三番三の舞の時に初めて大鼓が加わります。必ず鏡の間でつけるはずの面も舞台の上でつけます。囃子方や地謡といった普段装束をつけない人たちも全員が侍烏帽子に素襖裃の礼装になります。翁・千歳・三番三の装束も、役になるための装束ではなく、祭の礼装として見たほうが良いようです。三番三が自らの前奏曲である揉之段を舞い終わった後も、そのままの装束で黒色尉の面をつけ鈴之段を舞うのは、装束が役を表しているわけではないから、だと考えられます。 能の謡には、拍子合の謡と拍子不合の謡があり、通常、曲の中心であるクセやキリは拍子合の謡で謡われますが、『翁』はすべて拍子不合の謡です。面に関しても、能面は普通パーツに分かれていることはありませんが、翁の白色尉・三番三の黒色尉、替之演出でのみ使われる父尉・延命冠者などの面を含め、『翁』で使われる面のみは顎が切れていて、紐で結ばれています。 『翁』の曲は儀式なのです。曲の最初に、面箱持・翁・千歳・三番三・囃子方・シテ方後見・狂言方後見などが橋掛かりに整列して翁の役者の礼が終わるまで待っているのも、儀式の荘厳さと緊張感を醸し出す大切な場面だと思います。観客席から見ているだけでも身が引き締まる思いがします。 白色尉・黒色尉など、ほかの能面よりずっと古くに成立したといわれる『翁』の面は、シャーマニズム的な性質がとても強いと思います。『翁』では、翁・三番三が舞台上で面をつけますが、 どうどうたらりたらりら… 意味不明な呪文を唱えることによって翁の神を呼び込み、面をつけることによって、人から神となり、そして舞い終わった後に面を外して、神から人に戻るのです。この場合、能面は演者と神が一体化する媒体を担うわけで、役に成り入る手段となるわけです。アジア各地に伝わる、祭りに使われる仮面と性質を同じにする、ということもできると思います。 『翁』を演じる際には、舞台に見えないところでもいくつかの作法があるそうです。始まる直前、鏡の間(幕の向こうにある大鏡のある部屋)に、「翁飾り」と呼ばれる祭壇を作って、上段に白色尉・黒色尉・鈴(三番三が鈴之段で使う)、中段に侍烏帽子・中啓(閉じていても先の方が広がっている扇)、下段に神酒・塩・洗米を祀り、その前にすべての演者が揃って、盃を取ってから『翁』は始まるのです。 また演者は「別火」といって精進潔斎を行わねばなりません。「別火」とは竈の火を他と分けるという意味だそうで、食事や風呂に至るまで家族とは別の火を使って用意しなければならないそうです。女性と会ったり話したりすることも、やはり禁じられているそうです。当日の楽屋に持っていくものにも全て「別火」という張り紙が付いて、これにも女性は触れないそうです。というか、楽屋自体女人禁制になります。現代には馴染みませんけど、こういう儀式のとき、女性は「穢れ」として遠ざけられるわけです。 今はそれほど厳密に別火を行うこともないみたいですが。一応、前に師匠が『翁』を舞われた時に関係者に配った注意書きがあるので、参考に載せておきます。
『翁』は不思議な儀式です。きっと謡っている先生方も謎なんでしょうねぇ、翁って(笑) 実際、最後の方に 翁「ありはらや。なぞの。翁ども という謡もあったりして。人間にとって理解し得ない、それでいて畏れ多い神の歌。それが『翁』なんだと思います。 (2003/01/16) |
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