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夜になると、鬼神が塚の中から現れ、天上界から地獄の底までを鏡に映して見せ、大地を踏み破って地獄へ帰っていく。
5月5日は現在では「子どもの日」ということで、子ども、主に男の子のお祭りの日となっています。私の家では大したとはもうしなくなりましたが、一応、兜を飾ることだけは今でも続けています。しかし、平安時代では端午節会(たんごのせちえ)といって、菖蒲や薬玉で邪気払いをしていたのです。つまりは病気予防の習慣だったんですね。 それをさらに遡ると、『万葉集』にある額田王の有名な和歌にたどり着きます。 天皇の蒲生野に遊猟したまひし時に額田王の作りし歌 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 「遊猟」というのは中国伝来の行事で、薬となる若角を取るための鹿狩や若菜摘みをする行事のことです。その中で額田王は、袖を振られる…つまり呼びかけられているんですね。それを野守に見られないかどうか心配している、という趣の和歌です。これは大海人皇子(後の天武天皇)の和歌に返した歌で、額田王に関するいろいろな疑惑の原点になってるわけですが、ここでは詳しく述べません。 ここに野守が出てきます。「標野」というのは、立入禁止の標を立てた野のことで、つまり天皇の直轄地でした。そのため、番人である「野守」が警護していたのです。この和歌から、野の中であればどこにでも出現しそうな野守のイメージが伝わってきます。 こういう行事は平安時代になってもなくなったわけではないらしく、『古今和歌集』の 春日野の飛火の野守出でて見よ今いく日ありて若菜摘みてむ という和歌にも野守が登場します。「野守よ。今から何日で若菜摘ができるのかを出て見て下さい」と言った感じの和歌です。野守に問い掛ける形をとって、若菜摘みへの思いが詠まれているわけですが、野のことは野守に聞けば分かるといったイメージを読み取ることが可能といえるでしょう。 また雄略天皇が鷹狩のおり、鷹を見失って探したとき、現れた野守が水中に写った鷹の姿から木の上にいる鷹を見つけ出したという話もあります。これは能『野守』の前半で「箸鷹の野守の鏡得てしがな思ひ思はず他所ながら見む」の和歌のいわれとして語られる話ですが、野守を人間以上の力を持った存在として見ている話ですね。 野に精通し、ふと現れては消えていく野守。人間離れした存在に思えたのでしょう。そのため、能では野守の尉の正体は、天上界・地獄道を含めた全てを映し出す鏡を手にした鬼神として登場するのです。しかしワキの山伏が「恐ろしや打ち火輝く鏡の面に。映る鬼神の眼の光。面を向くべき様ぞなき」と怖がると「恐れ給はば…」と帰ろうとする心優しい鬼神です。 もしかしたら強面なだけで、気の小さいシャイな鬼神なのかもしれませんが(笑) そう考えると、ワキから「暫く鬼神待ち給へ」と呼び止められて、嬉しくてハッスルしては、東方降三世明王に始まって非想天などの天界の様子から地獄の罪人の責め苦の様子まで全てを写して回る。…ということはコイツ、意外にお調子者なのかな、とか思ったりも。だとすれば、私に結構似てますね(笑) なんだか親近感持てて来ました(笑) (2002/11/24) |
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