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東国の僧が都に登り、三条京極中川にさしかかる。そこで亡父の好んだ『源氏物語』のことを思い出していると、尼姿の艶かしい女性が現れる。僧が女性の素性を尋ねると、中川の旧跡を懐かしんで来たと答え、今宵はこの宿で碁を打ち僧の旅情を慰めようと言う。僧が昔この場で行われたという空蝉と軒端荻の対局のことを思い出すと、女性はその空蝉の霊であることをほのめかして姿を消す。<中入> 僧が木の下で臥していると、艶やかな姿の空蝉と軒端荻が現れる。二人は囲碁のことと『源氏物語』の巻名尽くしの謡を謡ったのち、碁盤を挟んで対局する。すると空蝉は負け、哀愁を帯びた[中之舞]を舞う。そして、その名の基となった薄衣を閨に投げ捨てて、姿は消えうせる。
◆空蝉(うつせみ) 光源氏の恋人の1人。衛門督の娘で、父は入内を望んでいたが、果たさぬまま死去。親を亡くした空蝉は老齢の伊予介の後妻となる。光源氏との関係は下記参照。後に夫の任国・常陸よりの帰京の際、石山寺参詣途中の光源氏の一行と逢坂の関にてすれ違い、和歌を交わす。夫の死後、継子の紀伊守に言い寄られ、それを回避するために出家。結局は源氏の後見を受ける身となり、二条東院に住む。 ◆軒端荻(のきばのおぎ) 空蝉の継娘(伊予介の先妻との娘)。空蝉とも仲が良い。色白で「つぶつぶと肥え」とあるのでグラマーだったのか。しかし、薄い着物を胸まではだけてだらしなく着ていたりしたので、光源氏の評によると、空蝉の方が品があって良いらしい。空蝉と碁の勝負をしたあと一緒に寝ていたところへ源氏が夜這いをしてきたのだが、当の空蝉は上衣だけ残して逃げたため、源氏は残る軒端荻を口説いて事に及んだらしい(笑) その後、蔵人少将と結婚。
私の専門である古代史で、囲碁のことを調べているうちに知った曲です。現在の現行曲ではないのですが、明治時代の『能楽図絵』(一番上に載せた絵)に描かれていることから、そんなに古い時代に廃曲になったわけでもないようです。 そして、1962年に金剛流で前宗家・二世金剛巌師が復曲、2001年には観世流でも梅若六郎師が復曲したそうです(ちなみに金剛流の復曲も京都の金剛能楽堂ですから、なんだか関西に縁のある曲ですね)。私が実際にこの復曲能『碁』を拝見したのは2003年の観世清和師による再演でした。 原典は『源氏物語』。そういえば、土佐光吉の源氏絵に空蝉と軒端荻が碁を打っているのを光源氏が垣間見しているのを描いた絵がありますが、そのシーンを能にしたものです。原典をそのままの舞台化するわけではなく、僧に霊を呼び出させ、その霊が回想するという形で演じられます。 『源氏物語』にシテの空蝉が登場するのは序盤の話。光源氏が16歳の時です。元服と同時に左大臣家の葵上と結婚していますが、所詮は政略結婚。仲睦まじいとはとても言えない状態でした。 そんなある日、光源氏が宮中で物忌みをしていると、退屈しのぎにライバルの頭中将や少し先輩格の左馬頭・藤式部丞がやって来て、世間話を始めます。いわゆる「雨夜の品定め」の女性評論ですね。若い男が数人集まると、今も昔も変わらず女の話になるんですな(^^;) この「品定め」の話の中には、具体的な恋愛話も出てきますが、これが中々面白い小話になってます。その中に藤式部丞が付き合ってた博士の娘の話があります。親の関係で生半可な学者よりも学があり、公私につけて助けてくれるという女性。寝物語にまでために成る話をしてくれるというほど。あまりに役に立つ話ばかりするためか、藤式部丞は逆に足が遠のくんですよね(汗) …この話聞いた時、私も専門会話大好き人間なので、気をつけなきゃと思いました(笑) そういった先輩連中の中流女性との恋愛話を聞いた光源氏は、大いに冒険心をそそられます(笑) そして次の夜、方違えに泊まった紀伊守邸で早速、その家に居合わせた紀伊守の継母・空蝉の部屋に忍び込むのでした。強引に契りを結ばされた空蝉ですが、その後は頑として光源氏を拒みます。しかし、光源氏は困難な恋にこそ燃えるという困った性癖の持ち主です。そして、2・3ヶ月経ったある日、光源氏は空蝉の弟・小君を丸め込んで、再び紀伊守邸に忍び込み、空蝉の部屋の中を覗き見します。 その箇所こそが、空蝉と継娘の軒端荻が碁を囲んでいるシーンです。実は、ここで初めて光源氏は空蝉の姿をしっかり見るのです。先に忍び込んだ時は、周りにバレないよう闇の中を行っていますから見ていないのですね。 やがて夜が更け、光源氏は空蝉の部屋へ忍び込みます。このところ光源氏とのことで不眠症気味の空蝉は、芳しい匂いが近づいてくるのに気付いて、小袿一枚を残して部屋から逃げ出します。それを知らずに光源氏が寝ている女性に抱きつくと、寝相が悪く前触ったときよりもボリュームがある(笑) 一緒に寝ていた軒端荻だったのです。人違いに気付いたものの後の祭り。得意の口上手に物を言わせて、「あなたに惹かれてきました」と言いつくろいながら、これまた一夜の契りを交わしたのでした。まったく(汗) 空蝉が脱ぎ捨てた小袿を肌につけ移り香を懐かしみながら、光源氏は歌を詠みます。 空蝉の身をかへてける木の下になほ人がらの懐かしきかな シテ登場の前にワキが口ずさむ和歌です。空蝉はさすがに光源氏の深い愛情が身にしみて、古歌を返します。 空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびに濡るる袖かな この和歌2首に由来して彼女は「空蝉」と呼ばれるようになります。 空蝉は光源氏を拒み続ける女性です。後に夫の伊予介が亡くなった後、空蝉は出家してしまいます。父の死後、継子の紀伊守が言い寄ってきたこともあるのでしょうけれど、源氏ともども全て断ち切るためでした。しかし、拒むのは源氏を嫌っているのではなく、身も心も揺さぶられたからこそでしょう。 源氏を受け入れたならば、源氏に頼らずには生きていけなくなってしまうかもしれない…そのことが激しく拒む理由だったのではないでしょうか。自らがそれほど美人ではなく、そして身分も高くないことを認識していた女性だとも思います。美人で身分高い六条御息所ですら、そのうちに源氏に捨てられ、その身を怨霊と化すことになります。自分はその様にはなりたくない。だからこそ源氏を拒んだのです。賢さと悲しさを同時に感じます。 ところでツレ軒端荻ですが、この『碁』の能は古くは『軒端荻』とも呼ばれたことが分かっています。シテの空蝉ではなく、あえてツレの名前で呼ばれているからには重きを置かれていた役なのだと想像できます。 彼女は空蝉と間違われたわけですが、彼女自身は光源氏に言いくるめられ、想われて契りを結んだと思っています。空蝉の弟の小君は源氏の二条邸と紀伊守邸をせわしく往復しているのに、軒端荻には手紙1つもなく物悲しく思っていました。 そのうち世間の噂を聞いて、自分は間違われただけであることに気付いたかもしれませんが、後に軒端荻が蔵人少将と結婚するときになって、光源氏から「死に返り思ふ心は、知りたまへりや(死ぬほどあなたのことを想っている気持ちは、お分かりでしょうか)」という言葉とともに ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし という和歌が贈られます。光源氏は単に新婚さんへちょっかいを出してるだけなのですが、軒端荻の方は、結婚直前にこんな手紙を受け取って困りながらも、まんざらではなかったと書かれています。やはり源氏のことを想っていたのです。ちなみにこの和歌が「軒端荻」の名前の由来です。 空蝉と軒端荻は一緒に碁を囲む仲の良い継母と継娘であると同時に、同じ男を想う女二人でした。当時は一夫多妻が当然で、さらに言うならば光源氏の妻の列に加わらなかった二人ではありますが、軒端荻は源氏からの愛情の空蝉との差を感じて、少し嫉妬のような感情もあるような気がします。 この能『碁』は、『源氏物語』の空蝉をシテとしながらも、空蝉だけを1人登場させず、軒端荻をツレとして2人で碁を囲むことで、光源氏の「人違え」の悲喜劇に焦点を合わせたものだと思います。それだけツレは重い役だと思いますし、その辺りが別名『軒端荻』とされた理由でしょう。 軒端荻「よしや恨みも中川の。ありしにかえる碁の一手。打ちて心を慰まん (2002/11/18) |
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