猩々(しょうじょう) 「能楽の淵」トップページへ


■あらすじ

 唐土の揚子の里に、高風という親孝行な酒売りがいました。その高風の元に市が立つごとに酒を買って飲む客がいるのですが、その客はいくら飲んでも顔色が変わりもしません。不審に思って名を尋ねると、潯陽の海中に住む猩々だと名乗ります。
 月の美しい夜、潯陽で高風が酒を持って猩々を待っていると、猩々が海中より浮かび上がって、酒を飲んでは舞い遊びます([中之舞])。最後に猩々は、汲めども尽きぬ酒壷を高風に与えては消えていくのです。
→能『猩々』の詞章はこちら

■バリエーションについて

 『猩々』にはいろいろなバリエーションがあります。もっとも代表的なのが『猩々乱』もしくは『乱』という曲名に変わるバージョンで、舞が[中之舞]から緩急のリズム変化が大きい[乱]という舞に変わります。舞い方も普通の運足ではなく、抜き足・蹴上げる足・流れ足と、水上を戯れ遊んでいる様子を表すものに変わります。

 またほかに各流派に「双之舞」「和合之舞」などといった小書が存在しますが、その場合、2人で舞うように変わります。宝生流の小書「七人」や観世流の類曲『大瓶猩々』では人数がぐっと増えます。いずれも人数を増やすことによって、宴会の賑やかさを演出する華やかなものです。

■ゆげひ的雑感

 「猩々」というのは、中国の伝説上の存在で、赤い顔をして酒を好む動物だといいます。私が読んだ本ではほとんど猿のような格好で描かれていましたし、オラウータンとする説もあります。伝説ゆえにさまざまな説があるんですね。日本では七福神の一人として寿老人の変わりに入れられた時代もあるそうです。

 能の猩々は、その名も「猩々」という赤い童子のような専用面に赤い頭(普通の赤頭には一房白い毛が混じっているのですが、『猩々』と『石橋』の赤頭のみ完全な赤だそうです)、赤の装束と赤ずくめの格好で登場します。とにかく、赤は猩々のイメージカラーなのです。右にあげましたが、日本古来の色の呼称で猩々緋というものがありますが、これは極めて鮮やか赤色のこと。マラリアは体に赤い発疹が出るために、猩紅熱というそうです。

 猩々と赤色の関係は、なんといってもお酒を飲むと、血行が良くなって顔などが赤くなるからでしょう。またそれとは別に赤く染めた毛織物を猩々緋と呼んだことにも関係があるような気がします。

 この能『猩々』は現在一場物の能として演じられていますが、最初のワキが語る「猩々と名乗る場面」は本来、前場として演じられていたものでした。天文年間(1532-1555)には、すでに祝言能として演じられる場合には、前場を省略した半能形式で行われていたことが古記録に見えるそうなのですが、そうした中で、半能として行われるのが常態となり、現行の様に後場だけの能となったそうです。

 (同様の例は『枕慈童』や観世流の『岩船』『金札』などにも見られ、後場だけの半能形式が常態となってます。近年は『石橋』も半能の方が上演が多いですよね)

 2003年2月8日の大槻能楽堂研究公演では、ワキ方福王流宗家に残されていた『猩々前』の謡本によって、前を復活させた能『猩々』が演じられたのですが、前場・後場がある以上、その間に間狂言の語りがありました。『狂言集成』という本に載る和泉流系統のものを元に新たに作成されたもので演じられた(演じたのは、大蔵流の茂山逸平師でしたけど)が、その中にこういうセリフがありました。

 さて又猩々を捉へてその血を取り。毛氈を染め猩々緋と号し。日本にても重宝致すと承り候

 …猩々が大平を寿いでくれる能なのに、猩々を殺して作るものの話って(汗) 元の『狂言集成』のほうには、さらに猩々の捉え方の詳細まで記されています。まあ、酒を置いてたら、のこのこ誘われて出てくるから酔わせて捉えろ、ってことなんですが(笑) 中国明代の『本草綱目』という書物には、もう少し詳しく猩々の血で毛織物を染めると、きれいな赤色になって黒ずむことはないと書いてあるともいいます。

 血というと、どうしても陰惨な気もしてしまいますが、あくまで能『猩々』では、血の持つ豊かな生命力の象徴としての面をめでたさと結び付けているのでしょうね。

(2003/10/29)

DATA
観世・金春・宝生・金剛・喜多

作者:不明
分類:五番目物、本祝言物
季節:秋九月
場所:中国潯陽の江
原典:不明
太鼓:あり

登場人物
シテ:猩々
ワキ:高風

関連事項
こういう色を
「猩々緋」と
呼ぶらしい

能の曲を語ってみる
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