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道成寺縁起
『道成寺縁起』

■あらすじ

 長い間失われたままであった道成寺の鐘が、やっと再興され供養することになった。道成寺の住僧は能力に鐘を吊り上げたことを確認した後、参詣人は入れても良いが、女人禁制だと言い渡す。しかし、そこに白拍子の女が現れ能力に頼み込み、舞を見せることを条件に寺内に入れてもらい、[乱拍子]などを舞ううちに、隙をうかがって鐘に近づくと、鐘が落下し女はその中に消えうせる。<鐘入>

 能力から事情を聞いた従僧は、それは怨霊のしわざだと言って、語る。昔、この国の真砂の長者の娘に慕われた山伏が、この寺に逃げて来たので寺の鐘を下ろして隠したところ、娘は執心のあまり大蛇となって追いすがり、鐘に巻きつくと鐘は融けて山伏は死んでしまったという。先の山伏はその娘の怨霊であろうと、従僧たちが鐘に向かって祈祷を行うと、鐘はふたたび上がり、中から蛇体が現れる。蛇体は僧に挑みかかるが、祈祷の力に負けて逃げ去る。

■ゆげひ的雑感

 文武天皇の勅願によって大宝元年(701)に創建されたという紀州の道成寺。この寺には、古くから伝わる鐘に関する伝承があります。

 現在文章として残っている最古のものは、平安時代の建久年間(1040〜1044)に成立した仏教説話集『大日本国法華経験記』にある「紀伊国牟婁郡悪女(きいのくにむろぐんのあしきおんな)」ですが、専門家によると、さらに遡ることが可能だといいます。

 この説話を元にして作られた能が大作『道成寺』です。能『道成寺』のことを見る前に、元々の「道成寺伝説」を絵巻物『道成寺縁起』(上の絵)を元にして見てみたいと思います。

 醍醐天皇の時代、延長六年(928)のこと。奥州から熊野権現へ参詣する1人の美しい僧侶がいました。彼は紀伊国牟婁郡真砂に至ったとき、その土地の庄司清次の未亡人に、家を宿として借りたのでした。女主人は非常によく歓待したのですが、事件は夜に起こります。女主人が僧侶のところに忍んできて、契りを迫ったのです。

 「これまで誰も泊めたりしなかった我が家に、あなたはお泊まりになったのです。これはちょっとした縁ではありません。間違いなく前世からの契りがあったからに違いありませぬ。今、契りを為すのに何のはばかりがありましょうか」と。古典で「前世の契り」が登場する場合、それは必ず愛の言葉です。途中の妨げを全て無効化する最強の大義名分です(笑) そんなことを突然言われた僧侶は戸惑って答えます。

 「私は長年、熊野参詣の宿願を持って精進し、遥々やって参ったのです。ここで戒律を破るわけにはいきません」と。しかし、女主人は聞き入れません。仕方なく僧侶は「熊野詣の帰りに契る」と約束して、宿から出ました。

 女主人はその約束を信じて、「僧の事より外は思はず。日数を算えて、種々の物を貯えて待」っていましたが、いつまで経っても、愛しい僧侶は現れません。そこで、熊野の方からやってきた人に尋ねると、「そういう人なら、かなり前に帰りましたよ」との返事。

 騙された! 「さては、すかしにけり」と怒り心頭に達した女主人は「よほどの事にこそ、恥の事も思はるれ。此法師めを追取りざらん限りは、履き物も失せふかたへ失せよとて、走り候」と、履き物を脱ぎ捨てて追いかけました。その様子は恐ろしく、道行く旅僧思わず怖がったほどでした。

 あわれもないような格好で、狂気のように走る女。そのうちに目じりは吊り上り、口は耳まで裂け、口から吐く息は炎と化します。大蛇と変じたのです。僧侶は大蛇が追ってくると聞いて、その正体があの女主人だと悟り、近くにあった道成寺に逃げ込みます。事情を聞いた道成寺の僧たちは、大鐘の中に僧を隠すことにします。丈夫な鐘の中ならいくら大蛇とて、と思ったのでしょう。

 しかし、僧侶を追いかけてきた大蛇は、「鐘を巻きて、竜頭を咥へて、尾を以って叩」き、さらに火炎を吐いたのです。数時間後、大蛇は「両の眼より血の涙を流し、頭を高く上げ、下を閃かし、本の方へ」帰っていきましたが、鐘はまだまだ焼けたままで近づくこともできませんでした。水をかけて冷し、鐘を取り除けてみると、「僧は骸骨ばかり残りて、墨の如し」という状態になっていました。

 その数日後、道成寺の老僧の夢に「我は鐘に籠められ参らせたりし僧なり」と名乗る蛇が現れ、言いました。「女に殺され、夫婦にされてしまいました。生きているころ、法華経を尊んでおりましたが、修行が浅く救われませんでした。できますならば、貴僧が法華経を写経して、私の悪縁を断ち切ってください」と。

 夢から醒めた老僧は、早速法華経の写経を行い、僧侶と女を供養しました。すると老僧は再び夢を見、僧侶が都卒天へ、また女主人が刀利天へと生まれかわったことを知ります(都卒天、刀利天はそれぞれ仏教の天界)。この話は広まり、人々は法華経の功徳を褒め称え、ますます熱心に読むようになったのでした。

 ここまでが『道成寺縁起』に記されているストーリーですが、つまりは法華経の霊験話です。法華経が登場するまでのストーリーは大して重要でないためか、女主人は色狂いじみた扱いですし、男も助けを求めてばかりの情けない存在として扱われています。仏教説話である以上、それは仕方のないことかもしれません。

 しかし、この話が能作者の手にかかって能『道成寺』になると、登場人物、特に女性に素晴らしい脚色がなされることになります。それはワキの語りの台詞によって示される部分ですが

 昔この辺りに真砂の荘司と申す者のありしが

 昔、道成寺の近くに真砂の荘司という者が住んでいて、それに一人娘がいました。その荘司の家には、奥州から熊野詣をする山伏が毎年、宿泊所として使っていたのでした。山伏が泊まる時は荘司の娘に可愛らしい土産ものを持って来ていたので、荘司は娘かわいさのあまり、「あの客僧は汝の(将来の)夫よ夫よ」と冗談を言ったところ、娘は幼心にそれを本気にして、数年を過ごしたのでした。

 そして数年後。今年もやってきた山伏の枕元に年頃になった娘が現れ、愛を告げます。「われをばいつまでかやうに捨て置き給ふぞ。このたびは連れて奥へお下りあれ」 山伏にとっては寝耳に水。適当にその場を取り繕った後、夜に紛れて逃げ出したのでした。

 裏切られたと思った娘は歎き悲しみのあまり、毒蛇に姿を変じて日高川を泳ぎ渡り、山伏を追いかけます。山伏は道成寺にまで逃げ、寺の鐘を下げその中に隠してもらいますが、それに気づいた娘は、「竜頭をくはへ。七纏ひ纏ひ」炎を吐いて、鐘を湯に変え、山伏ともども消し去ってしまったのでした。

 能『道成寺』では、主人公である女性の設定が、もともとの伝承にあった「情欲の為に男を追いかける寡婦」から、「冗談を真に受けてしまうほど純真な少女」と変わっています。そのために、男を追う理由が適当にあしらった(ように見える)男の憎さと変わり、物語の背景に哀しみを持たせ、深みを与えることに成功しています。

 また能に珍しく「めでたい」終わり方をしていないことにも注意です。最後の対決のシーンで、五大竜王へ祈る僧たちに負けはしますが、逃げる前に再び憎いあの鐘を焼き尽くしてから、日高川へ逃れてしまいます。彼女はまたも成仏…つまり救いを受けられなかったのです。あまりに純真一途だったからでしょうか。その山伏へ向ける思いと同じく、怒りも一途過ぎて、救われることなく、今も日高川の底に生きているのかもしれません。

 この能『道成寺』は、多くの芸能に影響を与えています。歌舞伎の『娘道成寺』、文楽の『日高川入相花王』。さらには沖縄組踊にも『執心鐘入』という曲があって、能『道成寺』の影響の大きさが分かります。また一般的にも『安珍と清姫』という名前で知られる話です。蛇体と化した女の名前が「清姫」で、彼女の恋する僧侶もしくは山伏が「安珍」と呼ばれているわけです。「安珍」の名は鎌倉時代の仏教史書『元亨釈書』からある呼び名ですが、「清姫」という呼び名は操浄瑠璃『道成寺現在鱗』(寛保2年(1742)初演)から始まった呼び方だと言われています。

 現在、真砂には「清姫」のものと伝えられる墓が存在しているそうですが、本当に彼女は死ぬことができたのでしょうか。悲しい話です。

(2002/11/24)

DATA
観世・金春・宝生・金剛・喜多

作者:不明
分類:四番目物、鬼女物
季節:春三月
場所:紀伊国道成寺
原典:『道成寺縁起』など
太鼓:あり

登場人物
前シテ:白拍子
後シテ:蛇体
ワキ:道成寺の住僧
ワキツレ:従僧
アイ:能力(二人)

関連史跡

道成寺

オススメ本
鬼
高平鳴海
 酒呑童子、紅葉、清姫、土蜘蛛、鬼婆、山姥、土蜘蛛、天神など能にも多く登場する「鬼」を解説。

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