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源義経像
源義経像

■あらすじ

 旅の僧が屋島の浦に赴くと、老人と若者の2人の漁夫がやってくるのに出会い、彼らの塩屋に泊めてもらう。老人は僧に求められて、源平の屋島の合戦の話をする。それはひときわ目立った源義経の勇姿、悪七兵衛景清と美保谷の四郎の錣引きの力比べ、主人をかばって敵の矢を受けて死んだ佐藤継信と菊王のふるまいなどの話であった。語り終わった老人は、自分が義経であるかのようにほのめかして、消えうせます。<中入>

 僧は塩屋の本当の主人から、老人は実は義経の幽霊だろうといわれる。夜半過ぎに義経の霊が昔の姿で現れ、屋島の戦のさまを物語る。義経は戦いのさなかに弓を海中に取り落としたが、弱い弓であることを敵に知られないために危険を冒して取り返したという。そのうちに修羅道の戦いの時になり、義経は能登守教経を相手に激戦のていを見せるが、気付けば全ては僧の夢であった。

■ゆげひ的雑感

 『八島』のキリ(最後の部分)にこういう謡があります。

 今日の修羅の敵ハ誰そ。なに能登守教経とや。あら物々しや手並ハ知りぬ。思ひぞ出づる壇乃浦の

 修羅道の戦いというのは責め苦であるはずです。平家一の猛将である平教経を前にしながら、しかし、どこか強敵に巡り合えたことを喜んでいるかのようなこの謡。少年マンガの主役みたいなヤツです(笑) 男の子はこういうの好きなんですよ。そんなわけで大好きな曲です。

 現行曲で源義経がシテとなっている能はこの『八島』一曲ですが、義経に関係する関係の能は数多くあります。ここでは義経の人生を追いながら、どの場面が能になっていったのか見ていきます。

 源義経は源氏の棟梁であった源義朝の九男で、源頼朝の異母弟。母は常盤御前。幼名は牛若丸。生まれた年に起った平治の乱で父が平清盛に敗れ殺されますが、牛若丸は命を助けられ鞍馬寺へ送られ修業に励みます。その時に鞍馬山中の天狗に武略を教わったといいます(能『鞍馬天狗』)。また最期まで義経に付き従った僧兵・武蔵坊弁慶を五条大橋で従えたのもこの頃そうな(能『橋弁慶』)

 16歳で寺を抜け出し、金売り商人の三条吉次に同行し、奥州平泉の藤原秀衡を頼ります。『義経記』ではこの「牛若東下り」の道中で、熊坂長範という大盗賊を退治したことになっています(能『熊坂』『烏帽子折』)。平泉で元服し、源九郎義経を名乗った後、兄・頼朝の挙兵を聞いて富士川の陣に参じて合流します。

 頼朝の代官として木曾義仲追討軍を率いて上京。さらに、一ノ谷・屋島(能『八島』)・壇ノ浦の合戦で平家軍をやぶり、平家を滅亡させます。この間、後白河法皇から検非違使に任じられますが、これが頼朝の怒りを買い対立。頼朝から刺客として土佐坊が義経の下に差し向けられますが、これは逆に土佐坊を斬って逃走します(能『正尊』)

 義経は船で四国に逃れて、頼朝に対し挙兵をしようとしますが失敗して(能『船弁慶』)、窮地に陥り、再び藤原秀衡を頼って奥州へ下ります。その際、安宅の関を弁慶の機転と度胸で抜けたといいます(能『安宅』)。藤原秀衡は義経を受け入れますが、まもなく病死。頼朝を敵に回したくない秀衡の子・泰衡に衣川の館を攻められ、自害しました。

 義朝の九男だったことから「九郎」、検非違使尉だったことから「判官」の通称で呼ばれます。平家討伐での華々しい活躍と、兄頼朝に攻められて若くして亡くなったことから、悲劇の英雄として有名で、「判官びいき」などの言葉の元ともなっており、また能だけでなく、多くの芸能が作られました。

 しかし、それら「義経もの」の芸能の原典となったはずの『平家物語』では義経のことをあまりエコひいきはしていません。例えば、巻11の「壇浦合戦」では義経の容貌について、こういう記述があります。

 九郎は色白う背小さきが向か歯の殊に差し出でててしるかんなるぞ

 訳せば「色が白くて背が小さく、出っ歯だった」! もっとも、これは平家方の武将・越中次郎兵衛が言っていることですから、多少は割り引いて考えるべきかもしれませんが、それでも戦場で義経を見分ける方法として言っているので、そういう意味ではやはりかなり正確な容貌描写だと考えるべきかもしれません。

 また、巻10の「大嘗会之沙汰」でも義経を見下げている表現が見えます。大嘗会とは、天皇が即位して最初の新嘗祭に行う、天皇自ら新穀をアマテラスなどに供える一代の祭儀です。大嘗会のために天皇(後鳥羽天皇)が禊に向かったのですが、その時の先陣を義経が勤めました。その時の描写。

 木曾などには似ず、以ての外に京慣れてありしかども、平家の中の選り屑よりもなほ劣れり

 先に都を手中に収めていた木曾義仲は、木曾の山中で育っただけに京都では笑いものになっていました。義経はその木曾義仲とは違って都には慣れていた(そりゃ、幼いころは都に住んでいたわけですし)けれど、平家の中の「選り屑」よりも劣っていたと。義経の文化レベルの低さを描いています。

 もちろん外見が悪いから、文化レベルが低いからといって彼は武将なのですから、彼の価値は何も下がらないのですが、やっぱり義経は色白の出っ歯で粗野といわれると、なんだかサマにならない気もしますね。

(2004/03/16)

DATA

観世・金春・宝生・金剛・喜多
(観世では『屋島』)

作者:世阿弥か?
分類:二番目物、勇士物
季節:春三月
場所:讃岐国屋島浦
原典:『平家物語』大坂越・嗣信最期・弓流
太鼓:なし


登場人物
前シテ:老漁夫
後シテ:源義経の霊
前ツレ:漁夫
ワキ:旅僧
ワキツレ:従僧
アイ:塩屋の主人

オススメ本
平家物語平家物語
杉本 圭三郎
 おごる平家の衰退から滅亡までを描いた一大軍記物語。その全訳注付き文庫。源義経の活躍は11巻。

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