実際の少年が演じる《花月》を見て

大西松久会
前の日曜日(3月27日)の朝、大阪能楽会館に大西松久会(シテ方観世流・大西礼久師の社中会)にて、こないだ小学校を卒業したばかりの少年の初シテの能《花月》を見ました。朝一番の大西礼久師の番外仕舞《邯鄲》の直後だったので、開始時間は9時35分。今まで能を見た中でも一番朝早い時間だったんじゃないか、と思います。

彼のお母さんとは知り合いなので、彼ともかなり前に会っているのです。初めて会った頃は、確かまだ小学校に入学もしてなかったと思うのですが、時が経つのは早いですね。

番組では、彼の能に「番外」と冠してありました。能楽の会で「番外」と書いてあるのは、社中会など素人の演目が並ぶ会において、玄人(プロ)による演技が入る際に冠される言葉です。彼は、能の家でもなく、能楽師でもないのですが、礼久師が番組に書かれた挨拶文にも「能楽師を志す」と書かれており、礼久師の彼への期待が感じられました。

さて、彼の懸命の演技を見た感想ですが…花月というのは少年なんですよね。

ながら、「花月」という名前の由来を滔々と謡い上げる場面など、かなり難しい言葉が続きますが、これは少年花月が自分で作った言葉ではないだろう、とふと思い付きました。

演技をしている彼自身はもちろん、昔から伝わる観世流の謡に定められた言葉を習って、その通り謡っているわけですが、実際の花月にも、台本などを書いて芸能者・花月をプロデュースした人が別にいたのじゃないか、という想像したのです。

さらに想像はエスカレートして、能《花月》は、場面場面の区切りにアイ(間狂言)が次に披露する芸を紹介していく構成になっていますから、このアイがそのプロデューサーにあたるのではないか。

普段の大人の能楽師による少年花月の演技ではなくて、実際の少年が演じる花月を見たことで、室町時代の少年芸には、演技者と享受者の間を調整する人が既に存在したのだろうなあ、と想像(妄想の域?)をたくましくしていました。

なお、恋の小唄の来し方より、今の世まで、尽きせぬものはの部分では、前に扇を抱えて顔を隠すようにしていたアイの善竹隆司師が、恋といへる曲者の部分になると、扇と体を左に外してシテの顔を見込む演技がありました。

初めて見た型のように思いますが、人に教えていただいた話ではこの部分で、シテ方流儀によっては、アイを軽く突き飛ばす型がある場合もあるということですから、それに対応した型なのだとは思うのですが。

それを知らずに見た時には意味深すぎて、一部にウケそうだな…と不埒なことを思っておりました(^_^;)

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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