能『鵺』×2

そもそも「鵺(ぬえ)」とは

先月の話ですが、奈良金春会と正陽会で能《鵺》を2週間連続で見ました。金春会のシテを演じたのは関西金春流のホープ(だと私は思っている)佐藤俊之師。正陽会では上野朝義師で「白頭」の小書(特殊演出)付きでした。

能《鵺》

旅の僧(ワキ)が摂津の芦屋の里に着き、日が暮れたので里人に宿を頼むが、土地の決まりで貸せないといわれ、仕方なく夜ごとに怪しげなものが出るというお堂で夜を過ごす。するとうつほ舟に乗った人影も定かでない不思議な男(前シテ)が現れ、自分は近衛の院の時に源三位頼政の矢先にかかり命を失った鵺の亡魂だと名乗る。僧の求めに答えて、その時の有様を物語った男は、舟に乗ると見えて夜の闇の中に姿を消す。(中入り)
 その夜、僧が読経を行っていると、異形の姿の鵺(後シテ)が現れて回向を喜び、自分が討たれた時の有様を再現して見せる。そしてまた遥かな闇の中に消えてゆくのだった。

「鵺(ぬえ)」とは頭は猿、尾は蛇、足手は虎という異形の怪物です。本来はトラツグミという鳥のことだったのですが、夜にか細い声でなくことから気味悪がられていたようです。

和歌の世界では「鵺鳥の」という言葉は「うらなけ」「片恋づま」「のどよふ」などの悲しげな言葉の枕詞となっています。京極夏彦さんの小説『陰摩羅鬼の瑕』には、鵺という怪物の背景には和歌の世界があるんだ、と書かれていましたね。それにしても「鵺」という漢字が存在して、PCでも入力できることが驚きです!

《鵺》は鬼を主人公とした能のひとつですが、《土蜘蛛》や《紅葉狩》《大江山》といったワキ方演じる武者が登場して退治される様子を具体的に舞台で演じる能とは違って、鬼自身が自ら殺されてしまう様子を仕方話で語るところに面白みがあると思います。

能《鵺》の型どころ

源頼政が弓矢を引き絞って放つ様、矢にあたって落ちた鵺に猪早太(頼政の郎等)が駆け寄って剣で刺し殺す様。それらを鵺が演じるのです。勇ましい箇所でありますが、滅ぼされた側である鵺が演じるために、どちらかというと悲哀が感じられて。それがまた、前半の、鵺が本性を現していない「不思議な男」という姿で演じられるところに、どこかストイックさがあって。大好きな場面です。

矢取って打ち番ひ。南無。八幡大菩薩と。心中に祈念して。よつ引きひやうと放つ矢に。手応へしてはたと当たる。得たりやおうと矢叫びして。落つる所を猪の早太つつと寄りて続けさまに。九刀ぞ刺いたりける。火を灯しよく見れば。頭は猿。尾は蛇。足手は虎の如くして。鳴く声鵺に似たりけり。恐ろしなんども疎かなる形なりけり
能《鵺》

後半も、頼政が鵺を退治した勲功で帝から御剣を賜り、その際に宇治の大臣(藤原頼長)が詠んだ和歌の上の句に頼政がすっと下の句を附けたという、頼政の武だけでなく、文にも優れていたということを語って頼政は名を揚げてと称えますが、その直後、我は名を流すと鵺の悲しみに急転直下する対比が妙です。

我は。名を流すうつほ舟に。押し入れられて。淀川の。淀みつ流れつ行く末の。鵜殿も同じ芦の屋の。浦曲の浮洲に流れ留まって。朽ちながらうつほ舟の。月日も見えず。冥きより冥き道にぞ入りにける
能《鵺》

もうここの謡、型大好きです! 淀みつ流れつ行く末のという箇所では”流れ足”という爪先をあげて横に移動する特異な足使いをしますが、これが上手い演者だと、鵺が本当に遙か遠くに流されていく様子が感じられて、たまりません。本舞台だけで終わる場合と、橋掛まで流れていく場合とありますが、橋掛まで使う方がより距離感が感じられて好きですね。もちろん演者に芸力次第ではありますが。

冥きより冥き道にぞ入りにけるというのは和泉式部の和歌からの引用ですが、全く知らずに好きになった言葉です。遙かに照らせ山の端の月と続きますが、あまりに陰惨な鵺の境遇の中に、一筋の光だけでもと救いを求める鵺の心情に通じて巧みだと思います。心情と書きましたが、《鵺》は人間の心を持った鬼なんですね。

あわせて感じるのが能《頼政》の存在です。《頼政》という能は、《鵺》であれほど栄光の象徴として描かれていた源頼政が、平家に敗れ、滅びる様を描いた能なのです。そこに無常だの、盛者必衰の理を描いたのだとかいうと安っぽく感じますが…。ともかくも私は能《鵺》に、怪物退治の話を原典に「滅ぼされた者」の陰を描いている能だと感じるのが、好きな理由です。

金春流と観世流を見比べる形に

金春流と観世流と、(結果的にですが)異なる流派で見比べることとなりましたが、特に流派による大きな演出や雰囲気の違いはあまり感じられませんでした。佐藤俊之師は大好きな演者なんですが、今回は後半に型のキレが足りないように見える部分もあり、今回は上野朝義師の舞台の方が面白かったです。

私、良い演能にあうと、終わった後思わず謡の一節を口ずさんだりしてしまいますが、正陽会後も「則ち御悩頻りにて…♪」と興奮気味でした。その前に演じられた狂言《月見座頭》もとても面白くて、10分ほどの休憩時間におう、見るぞとよ見るぞとよ(『月見座頭』曲中で舞われる『弱法師』の一節)と口ずさんでいました。

奈良金春会も《鵺》の他、山井綱雄師の《岩船》の仕舞が面白かったです。御船の綱手を手に繰りから巻きの謡の部分で、観世流では具体的に左手を綱に絡ませる型がありますが、金春流では舞台中央で下居して、膝を組みかえてから再び立って、扇を指すといった型でした。こちらの方がより洗練されていると思いますし、山井師の芸力と相俟って印象深い舞となっていました。

奈良金春会演能会

◆11月18日(日)13時~ 於・奈良県新公会堂能楽ホール(奈良市春日野町)
★金春流能『楊貴妃』
 シテ:金春康之 ワキ:清水利宣 アイ:佐々木千吉
 笛:赤井啓三 小鼓:荒木建作 大鼓:辻芳昭
 地頭:金春安明
★大蔵流狂言『魚説経』
 シテ:松本薫 アド:佐々木千吉
★金春流能『鵺』
 シテ:佐藤俊之 ワキ:橋本宰 アイ:松本薫
 笛:赤井啓三 小鼓:荒木建作 大鼓:辻雅之 太鼓:中田弘美
 地頭:金春穂高

正陽会

◆11月25日(日)13時~ 於・大槻能楽堂(大阪市中央区)
★観世流能『野宮』
 シテ:上野雄三 ワキ:福王和幸 アイ:善竹隆司
 笛:赤井啓三 小鼓:清水皓祐 大鼓:山本孝
 地頭:野村四郎
★大蔵流狂言『月見座頭』
 シテ:善竹忠一郎 アド:善竹忠重
★観世流能『鵺-白頭』
 シテ:上野朝義 ワキ:福王茂十郎 アイ:善竹隆平
 笛:左鴻雅義 小鼓:久田舜一郎 大鼓:上野義雄 太鼓:三島元太郎
 地頭:藤井完治

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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