能楽劇『夜叉ヶ池』

夜叉ヶ池

 少し見に行ってから時間が経ってしまったのですが、29日に見に行った能楽劇『夜叉ヶ池』の感想です。朝から夕方までは大西信久二十三回忌追善会に行っていたので、一日能楽漬け(笑) 急いで向かった梅田芸術劇場前は開場が遅れたらしく、大混雑でびっくりしました。

 しかし、『夜叉ヶ池』で小鼓を打たれた大倉源次郎師は、直前まで大阪能楽会館で『融-十三段之舞』を打ってらしたのですよね。囃子方殺しと呼ばれる演目…。『姨捨』でも小鼓後見をつとめられてましたし…本当にハードスケジュールです!びっくり

[第一部]
★観世流仕舞『芦刈-笠之段』梅若六郎

★観世流半能『石橋-大獅子』
シテ(親獅子)=梅若晋矢
ツレ(子獅子)=梅若慎太朗
ワキ(寂昭法師)=広谷和夫
アイ(せがれ仙人)=茂山宗彦
笛=藤田六郎兵衛 小鼓=吉阪一郎 大鼓=亀井広忠 太鼓=井上敬介

 …それぞれ役者の技術は良かったですが、その一方で強い違和感を覚えました。一応最初に梅田芸術劇場の舞台開きを寿ぐという説明があったものの、仕舞と半能をする意図があまりよく伝わってこなかったからです。

 特に半能は紋付袴姿による、いわゆる「袴能」形式。…どうして? 袴能といえば京都能楽養成会の研究発表会がそうですが…あれは稽古の延長としてのものです。役者の素の体の動きを面や装束に隠されることなく見せるというならば、大ホールでの上演には合わないと思います。ステージは能舞台の数倍の広さがあったようですから、装束を着けて4人ぐらいで舞えば良かったのに、とどうしても思ってしまいます。

 それと、初めて亀井広忠師の大鼓を生で聞きましたが…ホールじゃよく分かりませんでした(苦笑)


[第二部]
★能楽劇『夜叉ヶ池』[原作:泉鏡花]
(構成・総演出:梅若六郎、脚本・修辞:村上湛、演出:中村一徳 ほか)
萩原晃=野村萬斎
百合=檀れい
山澤学円=小林十市
白雪姫=梅若六郎 ほか

 晃と百合を中心に展開する人間世界を現代劇、白雪姫とその眷属の世界を能や狂言の形式で演じられていました。晃が「こっちだ、こっちだ」と、学円を連れて夜叉ヶ池に向かうのを百合が「お気をつけ遊ばせよ」と見送ると、舞台が暗転。「これは白山、剣ヶ峰千蛇ヶ池のご公達に仕え申す、鯰入と申す沙門にて候」と狂言形式で始まるといった感じです。

 元々鯰入や鯉七たちのやりとりは、原作に「恋の重荷」やら「恋し床しのお文なれば、そりゃ、われわれどもがなお見たい」と言う言葉があるように、狂言『文荷』を踏まえているようですから、上手いこと狂言化されていたように思います。もっとも「恋の重荷」の言葉自体は、能を知らないと分かり難いと判断したのか使われず、「恋し恋し(小石小石)が詰まって重とうござろう」といった感じでしたが。

 ただ能形式となると…白雪姫が自ら鐘を打ち落とそうと狂乱の態を見せるところは、能『道成寺』の鐘入り前を思わせて良かったのですが、他はなんだか無理に囃子や舞を入れたように感じる場所もあって、木に竹を接いでいるという印象はどうしても拭えませんでしたね。

 最も違和感を感じたのが、狂乱する白雪姫が百合の子守歌を聞いて我に返る箇所。それまで能形式・生の声や楽器演奏によって展開していたのが突然スピーカーからBGMが流れ出し、舞台後方に現れた百合にスポットライトが当たって、テーマソングのような歌を精一杯歌うのです。…雰囲気ぶち壊しではないでしょうか。声だけによるアカペラで、原作にある「ねんねんよ、おころりよ、ねんねの守は何処へいた…」といったような、素朴な子守歌だったら、かなり受ける印象が違ったと思うのですけれど…。

 そういや晃を見送る百合が、子どもの代わりの人形を抱くというのもカットされてました。百合の孤独さを暗示させると同時に、百合が歌を歌う必然性にも繋がる重要な要素だと思うんですが、なんで削られたのでしょうね。

 と、欠点を論ったような文章になってしまいましたが、つまり、実験を見せてもらったな、という印象なのです。好きな作品の舞台化を見ることができたという点では良かったですし、それに私、こういう試み自体は好きなのです。

 しかし梅若六郎師といえども、上手に能と現代劇を融合させるのは難しいようで、今ひとつ効果が上がってないと感じましたし、全体としては上に挙げた違和感が強くバラバラであったように思います。個々はそんなに悪くないとは思うのですけれど。

 役者さんに関していえば、白雪姫の乳母役の方(新劇の女形の英太郎という方)が良かったです。能役者・狂言役者に囲まれている中、異質ではなく、でも存在感がバリバリあってステキでした。


 ところで別の話になるのですが、『夜叉ヶ池』を見ていて、山本東次郎師が著書(『中・高校生のための狂言入門』など)で主張なさっているいらっしゃるように、古作の狂言というのは本当に品を保って作られているのだな、と強く感じました。

 鯉七が昔に行われた、いやがる里の乙女を無理に裸体にして牛に戒め夜叉ヶ池にやるという雨乞いの話を語りますが、その乙女が恥かしさ無念さの余り、屠られる牛に願って村々を焼き尽くしたのを見て「生贄の娘が狂喜した」といったことを語ったり、野村萬斎師演じる晃が「死ねっ!」と代議士に向かって鎌を振るう場面などを見ていると、なんだかギョッとしてしまったのです。その感情は、古作の狂言では殆ど在り得ないことを演じていたから、ではないでしょうか。同じことを表現するにしろ、古作の狂言なら、もっと違うやり方をすると思うのです。

 晃の方は単に狂言方である野村萬斎師が演じていたから、というだけで、原作にもあるシーンですから構わないのですが、鯉七の語りは完全に狂言形式でのこと。原作には「笑みを含んで」としか書かれていないのを、敢えて具体的に描写したのですから、何かの意図があってのことかと思われますけれど、そういったことをせず、一定の節度を保つ狂言の姿勢こそが、狂言を見ていて感じる安心感に繋がるのだ、という山本東次郎師の主張を身を以て感じたように思いました。

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夜叉ヶ池・天守物語(原作について)
涸井戸スコウプ:[舞台]夜叉ヶ池@梅田芸術劇場
(-_-φ:能楽劇「夜叉ヶ池」/梅田芸術劇場
as usual…:お芝居を観てきました♪
ちょこほりわんこ:夜叉ヶ池 2005.10.31(月)

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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12件のフィードバック

  1. leaf より:

    こんばんは。リンク&TBありがとうございます。
    >最も違和感を感じたのが・・・・。
    まったく同感です。せっかくの雰囲気がぶち壊しになりましたよね、あの歌で。いくら元宝塚だからってあんな演出はないですよね・・・。しかもあまり歌がうまくなかった(汗)
    狂言はよく観るのですが、能はまだ一度しか観たことがないのでこちらに来ると勉強になります。(狂言自体も観て楽しんでいるだけで知識はまったく無いので・・・)
    またちょくちょくこちらにお伺いしますね。

  2. 能楽劇「夜叉ケ池」

    梅田芸術劇場オープン記念シリーズのひとつ。東京はBunkamura・オーチャー

  3. gh より:

    はじめまして。TBありがとうございました。
    つたない素人感想文ですがTBバックさせていただきました。
    これからも機会があったら狂言、能ともに見る機会を持ちたいと思います。これからもよろしくお願いします。

  4. 能楽劇「夜叉ヶ池」

    ずーっと楽しみにしていた小林十市さんの最新舞台、能楽劇『夜叉ヶ池』を見てまいりました。(※過去の浮かれたブログは

  5. JOLLY より:

    はじめまして。
    TBさせていただきましたJOLLYと申します。
    能や狂言には疎いので、こちらの解説がたいへん勉強になりました。

  6. umako より:

    こんにちは。コメント&TBありがとうございます (^▽^)
    理解できないところがあったものの、わたしにとって苦手な能の世界にすこしでも触れられたことは価値あるものだったと思います。こういう機会がなければ能を見よう!とは思わないですから(^▽^;)こういった試みは(めげずに?笑)今後も続けてほしいものです。
    今回をきっかけにほんのすこし能に興味を持ちました。もともと伝統芸能や歴史が好きなので(〃∇〃)。HPのほうも全て拝見できてませんが、興味あるお話がちらほらあって、あとでゆっくり拝見させてもらいますね。

  7. 犬山伏 より:

    こんにちは。
    コメントとトラバ有り難うございます。
    大阪は仕舞まであったのですね。
    東京では「石橋」のみの第1部で、なんでこれを、しかも袴でやるのか、私も見ながら疑問だらけでした。
    そう、感情表現が、ただの直截な表現で、私も能楽との違いを感じたました。ただ、今回のこの劇はすべてを能楽化しようとしているわけではないのかなと理解していました。現代劇的要素もじゅうぶんに残そうといような。
    新作能という位置付けなら能楽堂で上演されたでしょうから、これはこれでいいのかなと。
    ただ、出演者にはそれなりの技量を求めたいので、百合の歌としょっぱなの男性の歌には力が抜けましたけれど。
    とはいえ、これは私の想像ですが。
    パンフレットではどのように説明されているのでしょうか。パンフレットは売り切れで入手できなかったのです。

  8. ★leafさん
    やはりあの歌はタカラヅカ的演出なんでしょうか。
    タカラヅカは一度も見たことがないので、全く分からないのですが…。
    leafさんは狂言をよく見られるのですね~。
    私は能と狂言と、それぞれが主張し合いながらも
    一緒にあってこその「能楽」(能&狂言)だと
    思っていますので…機会があれば是非能も見てください(^^)
    知識は…単に私が理屈っぽいだけです~(苦笑)
    ★ghさん&JOLLYさん
    コメントありがとうございます。
    また機会があれば、能や狂言にも触れて見てくださいね~。
    ★umakoさん
    こんにちは。コメント&TBありがとうございます (^▽^)
    確かに分からないところも、どうしても違和感を感じるところも
    あるのですが、こういった舞台をやる価値はあると思うのですよね~。
    もっと完成度が高いものをまた見てみたいものです。
    また機会があれば能をご覧になって下さいませ。
    ハマると、本当に深いですよ~。「淵」と名付けたのもその辺りです。
    ★犬山伏さん
    大阪では開場・開演時間が遅れたので、仕舞や半能は
    その延長上の時間稼ぎだったのでは、という気がします。
    それにしても、やり方がまず過ぎるとは思いますけれど。
    「能と劇の出会い」という副題の通り、
    半分能楽、半分現代劇という感じでしたね。
    新作能ではなくて、あくまで能楽劇なんでしょう。
    ただ、「歌」は蛇足にしか思えませんでしたね。
    パンフレットは買う気も起こらず、そのまま見過ごしました(^^;)

  9. りんどう より:

    柏木さん、お久しぶりです。私も大阪公演見に行ってました。
    チラシやパンフによると、半能「石橋」は最初からのプログラムのようです。仕舞「芦刈」は、会場側のアナウンスによれば、梅田芸術劇場オープニング記念(梅田コマがリニューアルしたんですよね、確か)として演じるとのことでしたが…ご当地ソングなのはさておき、これがおめでたい場に合う曲なのかな?という漠然とした疑問が、頭から離れません。どーなんでしょ?

  10. peacemam より:

    私は興味がわかなかったので観ていません。と言うよりもオークションページに出てから「こういうのがあるのか」と知った、というのが正しいです(苦笑)。まだ「正統派能狂言」を観るので手一杯で。でもちょっと観てみたかったかも。能狂言をよく観る人とそうでない人とで意見が分かれそうですね。

  11. ★りんどうさん
    梅若家は元は丹波猿楽で、15世紀前半までは「梅津」を
    名乗っていたそうなのですが、その芸が後土御門天皇の意に
    かなって、「梅若大夫」の称を与えられたとされています。
    又聞きなんですが、その、天皇の御前で演じた能が
    『芦刈』だったらしく、梅若家では大切に扱って、
    祝儀の曲ともされているようです。
    2年前に新金剛能楽堂の舞台開きでも、梅若六郎師が
    『芦刈-笠之段』の仕舞を舞ってらしたのをテレビで見ましたよ。
    ★peacemamさん
    私は電車で、広告を眺めていたら「梅若六郎+野村萬斎」と
    書かれているのを見て、知りました。私の印象としては
    面白くなかったとは言いませんが、観て良かったと素直には言えません(汗)
    ネットで、いろいろな感想を読みましたけれど、ベタ褒めなのは
    主に野村萬斎師や元宝塚の檀れいさんの熱狂的ファンの方たち。
    そうでない方は、どうしてもチグハグなものは感じられたようです(^^;)

  12. りんどう より:

    >柏木さん
    なるほど~。浪速の謡でもあり、梅若家の祝儀の曲でもありという選曲だったのですね。一つ賢くなりました、ありがとうございます。