清々しさが漂う神戸新春能

神戸新春能2016

清々しさが漂う「新春能」

今日は神戸新春能@湊川神社神能殿に行ってきました。

最初の《翁》は上田貴弘師の翁大夫、吉井基晴師の千歳、善竹忠亮師の三番三。今年何度か見た《翁》の中でもオーソドックスなものに感じました。私が能楽に触れた最初の頃から見続けてきた芸の傾向に一番近いだけかも知れませんが、儀式化しつつも洗練され過ぎず、土着っぽさもまだ残る印象。

次の狂言は善竹忠重師《福の神》。謡は知っているのに、狂言として見るのは初めてだったようです。大笑いと共に現れる福の神が素敵で、幸せな気分になりました。笑門来福とはこのこと。キリの謡のいやという程もるならばを三度繰り返すのは狂言の祝言の形でしょうか。猿歌も俵を重ねて面々にという言葉を三回繰り返しますよね…。

最後は能《国栖-白頭・天地之声》。武器を持っているアイを、存在感で圧倒する前シテの演技が大好きです。後シテは時間的には本当に短い出番でしたが、小書「天地之声」の演出で、すなはち姿を現し給ひてと走り出て来たところから、全力を出し切っていらした様子が良いですね。

全体に清々しさが漂う「新春能」らしい能でした。

能楽と史実の逆転現象

能の《国栖》は壬申の乱を能に仕立てたものですが、現在の観世流謡本では天武天皇をやごとなき御方、敵対する相手をなにがしの連と隠してあります。しかし今日のワキ江崎欽次朗師(福王流)は清見原天皇(天武天皇)大友皇子と謡ってらっしゃいました。観世流の改変前の形が福王流に残っているのですね。

ところで、能《国栖》詞章では清見原天皇(天武天皇)に対して大友皇子のことを御伯父(おんハクブ)と言いますが、実際には、大友皇子は天武天皇の兄である天智天皇の子なので、天武天皇の方が大友皇子の叔父にあたります。この逆転はどうしてだろう…と思いつつ、諸注釈を見てみても上手い説明は見当たりません。うーん。

大学では日本古代史専攻だった私には、元ネタである壬申の乱とも重なって見えて、非常に楽しい曲なのですが、追手を追い返した後の展開は、少々唐突な感じを受けます。前シテ・ツレの尉と姥とは別に、後ツレ天女・後シテ蔵王権現が登場する形が本来であったかと思うのですが、5分もない後シテの存在感を考えるのは、面白いなぁと感じます。

なお、今日の後ツレ天女の舞は「楽」でした。観世流の《国栖》謡本には中入楽ノ節ハ左ノ如ク変ヘルとして、楽アトの地謡が大ノリに変化することが記されているのですが、今日の舞アトは常の渡リ拍子の地謡が謡われていました。

神戸新春能

2016年1月10日(日)13時開演 於:湊川神社神能殿
★観世流《翁》
 翁大夫=上田貴弘 千歳=吉井基晴 三番三=善竹忠亮 面箱=岡村和彦
 笛=八木原周平 小鼓頭取=古田知英・曽和鼓堂・伊吹吉博 大鼓=大村滋二
 後見=下川宣長・藤谷音彌 地頭=上田拓司

★大蔵流狂言《福の神》
 シテ(福の神)=善竹忠重 アド(参詣人)=阿草一徳・稲田裕
 地謡=善竹忠亮・岡村和彦・尾鍋智史・小林維毅

★観世流能《国栖-白頭・天地之声》
 シテ(尉/蔵王権現)=田中章文
 子方(王)=吉井晟朝
 ツレ(姥)=久保信一朗
 ツレ(天女)=藤井丈雄
 ワキ(侍臣)=江崎欽次朗
 ワキツレ(輿舁)=和田英基・松本義昭
 アイ(追手)=前川吉也・牟田素之
 笛=八木原周平 小鼓=高橋奈王子 大鼓=大村滋二 太鼓=梶谷義男
 後見=藤井徳三・上田大介 地頭=藤井完治

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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