浦田定期能

私のGWは、GNW(黄金能楽週間)でした(笑)

3日、5日、6日、そして今日と能と狂言を見ています。合計すると能と狂言が5番ずつ。この浦田定期能で茂山忠三郎師の『飛越』も見るつもりだったのですが、その前の素謡『卒都婆小町』を避けて近くの平安神宮あたりを散歩して帰ってきたら、すでに終了後(汗) 時間を計り損ねました。ちょっと残念。

浦田家関係の舞台では、最初に京都府立大学の山崎福之教授が解説をして下さるのですが、この方、わりと好みです。大学の講義プリントみたいな、資料が引用されている紙が配られ、それに基づいて解説。時間がそんなにないからか、要点だけ仰るのがまた良いのです。『屋島』関連で、プリントに兜の絵が印刷され「錣」はここだと図説されてました(^^)

★観世流能『屋島』
観世流以外では『八島』と書きます。西原徹吉師という方は初めて拝見する方ですが、ご高齢の方なのでしょうか? 立つのが大変そうだったり、体が十分には動いていなかったように感じました。でも、謡は素敵でした。特に後半にある、義経が取り落とした弓を危険を冒して取り返したあたりは、囃子が止んで、シテと地の謡のみの場面でしたが、ここは良いな、と見てました。

あと気付いたのは、後シテが上半身に着ていた厚板の模様が源氏車だったこと。義経だからなるほど!

★観世流能『安達原』

 旅の山伏が陸奥の安達原で行き暮れ、荒野の一軒屋に宿を借りる。あるじの女は旅のなぐさみにもなろうと糸車を回して見せながら、あさましい身の上を歎いたり、気を変えて糸尽くしの歌を謡ったりする。夜が更けて寒さが増すと、女は薪を取ってこようと言い、留守中に寝屋を見ないように何度も念を押してから山へ出かける。(中入)
 供の能力が覗くと、寝屋には人の死体が散乱。山伏は「陸奥の安達原の黒塚に。鬼籠もれると聞くはまことか」の和歌にある鬼の住処だったかと逃げ出す。山から帰ってきて様子を知った女は鬼女の形相で追い迫り、山伏に襲いかかるが、ついに祈り伏せられる。

…後シテが出てきて「胸を焦がす焔。咸陽宮の煙。紛々たり」と謡い、背負っていた柴を捨てるところで、思わず涙ぐんでしまいました。角柱の近くからワキに向かって睨みつけたとき、シテがつけた般若の面は泣いていたように見えたのです。

この老女は鬼だったかもしれませんが、人間に戻りたかったのでしょう。阿闍梨である祐慶に出会い、彼と縁を結ぶことで救いを求めたかったのかも。だからこそ、本当に薪で暖まって欲しくて、柴を集めていたのが、無残にもその阿闍梨の一行によって裏切られた。すぐ捨てる柴を持って現れるのには、そんな意味があるのだと思います。

祈りで争うシテとワキを見ながら、どうして…とただただ悲しくなってしまう。そんな『安達原』でした。後シテが下半身に巻き付けていた唐織は、前シテが着ていたものと細かく見れば違ったのですが、一見同じものに見え、山に柴を取りに行ったそのまま、悲しみのために般若となってしまった、そう暗示させるものでした。

シテの深野貴彦師はお若いし体運びが切れる方ですが、謡も良いです。独立披露能の『石橋』以来、そう思います。糸車を回しながら聞いた糸之段は心地よい。全体的に若い役者による能でしたが、若さが良い方向に揃って、とても力のこもった舞台だと感じました。

『屋島』の時には、ワキ正面で見ていたのですが、『安達原』ではワキの裏側、地謡座の正面のあたりから見ていました。ここは橋掛りまでが立体的に見通せる良い場所ですね。ワキ方の原大師および小林努師の謡が降りかかってくるかのように堪能できました(^^) これから座れる時には、こちらに座りたいかも。

2005年5月7日(土)11時開演 於:京都観世会館
★観世流能『屋島』
 前シテ(漁翁)/後シテ(源義経の霊)=西原徹吉
 前ツレ(漁師)=越賀隆之
 ワキ(旅僧)=清水利宣
 アド(屋島の浦人)=山口耕道
 地頭=深野新次郎
 笛=相原一彦 小鼓=林光寿 大鼓=井林久登
★観世流能『安達原』
 前シテ(里女)/後シテ(鬼女)=深野貴彦
 ワキ(山伏祐慶)=原大
 ワキツレ(供山伏)=小林努
 アイ(能力)=安東伸元
 地頭=浦田保親
 笛=左鴻雅義 小鼓=吉阪一郎 大鼓=石井保彦 太鼓=前川光範

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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