テアトル・ノウ

2005年4月3日(日)14時開演 於:京都府民ホール・アルティ

★観世流能『忠度』
 前シテ(老人)/後シテ(平忠度の霊)=味方玄
 ワキ(旅の僧侶)=福王和幸
 ワキツレ(同行の僧侶)=山本順三・喜多雅人
 アイ(浦の男)=茂山茂
 笛=左鴻泰弘 小鼓=曽和尚靖 大鼓=谷口有辞

 味方玄師主催の「テアトル・ノウ」に行ってきました。敢えてホールでの演能です。能舞台で演じる能を「額縁に入った絵」に例えられる味方師。それは「中世ヨーロッパの宮殿」「装飾の施された立派な額縁に納まった絵画がしっくり」くるのと同じように、能は能舞台で演じられることが最も合っていることを認めつつも、その「絵」のみ、つまり能舞台に拠らない、能そのものの演技形式が持つ力を試してみたい、という公演なのだそうです。

 アルティというホールは舞台を昇降させて、ある程度自由に舞台を作れるようになっています。今回は普通の能舞台と同じ、橋掛りの出っ張った形で作られてましたが、色は光る黒。普段の木の舞台と比べると、とても暗くて無機質な雰囲気を醸し出していました。

 そして、何よりも目に付くのが、舞台を上から覆う桜の木。生け花の遠州宗家・芦田一寿さんや、舞台監督の前原和比古さんがいろいろ工夫されて作り上げたものだそうですが、これはすごい! 味方師が仰るに「情景を想像する方向を示すものとして」置かれたものなのだそうですが、ライトアップされ、時には花や枝がハラハラと舞い落ちる下で演じられる桜ゆかりの能は格別のものがありました。

 最初に仕舞。『小塩』味方健師、『網之段』片山清司師、『西行桜』片山慶次郎師。全て桜にゆかりのある曲ですね。なんだか仕舞を見るのは久しぶりなので、演者の、腰の安定しているさまって美しいな、と再確認しました。花が少し散る中でしたので、片山清司師が『網之段』(桜川)の「花も桜も。雪も波もみながらに。すくい集め持ちたれども」と扇で桜の花をすくい集める型をされたのは、とても合ってるなぁ、と。もちろん、確かな演技力があって初めて映えるのですけれどね。

 『忠度』のあらすじは以下の通り。

 旅の僧が須磨の浦で山から薪を運ぶ老人に出会い、平忠度にゆかりの若木の桜の下で、忠度の弔いを頼まれる。老人は忠度の化身であることをほのめかすと姿を消す。(中入) 夜になると、忠度の霊が昔の姿で現れ、自分の歌が『千載集』に採られた際に、朝敵であるがために「詠み人知らず」とされて名を残せなかったことを歎き、旅の僧が撰者である藤原俊成ゆかりの者であることを頼りに、俊成の子・定家に訴えるように頼む。忠度の霊はなお、岡部六弥太と戦って討ち死にし、その際に箙につけた短冊で六弥太に名前が知られた様子などを語って、消えるのであった。

 演技も良かったのですが、それ以上に『忠度』っていい曲だなぁ、と感じた舞台でした。『忠度』に関しては、大鼓の稽古場で今、大先輩が稽古なさっているのですが、その師匠が謡われる地謡を聞くたびに「いい曲だな~」と感じ入ってます(笑) 曲のストーリーやテーマ、もしくは舞の型などから好きになった曲はいろいろあるのですが、謡から好きになったのは、この『忠度』が初めて、だと思います。

 能『忠度』に関する情報としては、能楽ライターの石淵文榮さんがブログに書かれているのが、詳しくて面白いので、是非読んでくださいませ(^^)

 表面的には、『忠度』の和歌に対する執着を描いた能、といえるのでしょうが戦いのシーンではシテが忠度だけを演じるわけではなくて、時に、忠度を討ち取った岡部六弥太忠澄になり、そして忠度に戻り、最後には三人称になる、と、文章の主語をはっきり言わない文語を詞章として持っているからこそ、演技でもそれぞれを行ったり来たりが可能で。それぞれのイメージが重なり合うように作られているんですよね。

 そして、テーマとなっている和歌「行き暮れて木の下蔭を宿とせば。花や今宵の主ならまし」に関しても、表面的な舞台進行としては、ワキの旅僧が桜の下で夜を過ごした意味ですが、その桜の下には忠度の遺体が埋まっているのです。「桜の下には死体が埋まっている」とはよく聞く言葉ですけど、まさに能『忠度』ではその通りなんですよね。だから、忠度にとっては「木の下蔭」に、人生に行き暮れて「宿」=墓となっているのですよね。

 これは流派によって違うそうですが、今回の舞台の場合、「行き暮れて木の下蔭を宿とせば」と和歌の前半を読んだところで、舞台を静かに一周してから、やっと「花や今宵の主ならまし」と謡ったのですが、それは、いろいろと重なり合った気持ちが強すぎて、一気に読むことができずに…というイメージで拝見してました。

 その桜は「若木の桜」と呼ばれる桜なんですが、本当は『源氏物語』で、須磨に隠遁した光源氏が植えた桜だってことは「『忠度』いろいろvol.5」に書いてある通りです。石淵さんのブログで初めて知ったことですが、そこで源氏を尋ねてきた頭中将と忠度を訪ねた?ワキ僧も重なっているとなると…。

 忠度と六弥太、『平家物語』と『源氏物語』、シテとワキ、俊成に定家…。いろいろなものが見事なまでに重なり合わさって出来た能『忠度』。作者は世阿弥だそうですが、『申楽談儀』で「上花」と自賛するのももっともですね。

 半分ぐらいは舞台を見ながら、ぼけーっと感じたことです。具体的な演技には言及しませんけれど、これだけいろいろ感じさせられた舞台も久しぶりです。テアトル・ノウ、ステキな会でした(^^)


 「テアトル・ノウ」を見た後、高校のころの友人と久しぶりにお酒を飲みました。お互いに大学で高校時代とは違うことをいろいろやっているはずなのに、ほとんど変わってない気がするのが不思議(笑) まあ、大して時間が経ってないということと、あくまで「高校時代の友人」という目で見てしまうというのもあるのでしょうけど。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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