世阿弥本『雲林院』その2

 前に書いた「世阿弥本による『雲林院』」の続きですので、「その2」なんてつけてみました。実際に見に行ってみての話。能の前にあった京都市立芸術大学の中西進学長による「『雲林院』の陰翳」というお話と、実際の演技の様子と私の印象と、混ざっていて読みにくい文章になってしまいましたが。

 まず雲林院について。能『雲林院』の舞台となっていますが、実は『伊勢物語』や在原業平とは関わりのない寺なんです。現在も大徳寺の塔頭として観音堂だけが存在するそうですが、元は仁明天皇の皇子・常康親王が創建したもの。藤原氏の血を引く皇族のみが栄えていく時代、常康親王は紀氏の血を引く傍系の皇子であり、「雲林院はその創建から陰翳を持つ寺社だった」とは中西教授は仰ってました。

 私はちょっと言い過ぎだと思うんですけど、ただ、紀氏といえば在原業平の正妻(能『井筒』のシテは「紀有常の娘」ですよね)の一族で、業平が近侍した惟喬親王(文徳天皇の皇子)も紀氏の血を引いてました。系図で書いたらこんな(↓)感じです。能『雲林院』には栄えた藤原氏に対して、陰となった紀氏の影がちょっと感じられる、というのは確かにあると思います。

        在原業平
         │     ┌基経
    ┌有常─(女)    │
    │      藤原長良┤
    │          │
紀名虎─┼─種子       └高子
    │ │         │
    │ ├─常康親王    ├─陽成天皇
    │ │         │
    │ 仁明天皇─文徳天皇─清和天皇
    │      │
    │      ├─惟喬親王
    │      │
    └──────静子

 雲林院は常康親王の没後、百人一首で有名な僧正遍昭に譲られて、以後天台宗の寺院になります。雲林院では特に菩提講が有名で、歴史物語『大鏡』は雲林院の菩提講に集まった老人たちが昔語りをするという形式で書かれていますが、それも雲林院が当時都でも有数の寺院だったことの反映です。桜花や紅葉も有名でした。

 そして藤原基経・高子の兄妹の話。後シテは登場して「そもそもこれは。かの后のおん兄。基経が魄霊なり」と名乗りますが、人間の魂魄のうち、死後天に登るのが魂で地に留まるのが魄なんだそうです。地に留まる魄霊が「悪鬼の形」となってまで妹を取り返す、そこにおどろおどろしい執着心を感じますよね。装束としては黒頭に怪士系の面、狩衣を右袖脱いで着て下は青い挿貫に太刀を佩いてました。ちなみに高子は『杜若』のシテの姿を地味にした感じ。頭に冠をかぶって、長絹ではなく紫無地の水衣?、緋の大口袴だったように思います

 世阿弥本の『雲林院』は、「白玉か」の和歌のある6段の話以外にも、男が娘を盗み出して武蔵野に逃げ込んだという12段も踏まえています。追手が盗人が隠れている野に火を放とうとするので、たまらず娘が「武蔵野は今日はな焼きそ。若草の夫も籠もれり我も籠もれり」と詠んだために捕まってしまった。12段はそんな話です。

 それを踏まえて基経は松明を振りかざしながら、高子を捜し求めます。この部分は立回りで表現されていましたが、通常とは違って笛・小鼓・大鼓が演奏を止め、太鼓の音だけで表現されました。撥音の強弱と基経(シテ)と高子(ツレ)の緊張が重なり合うようで、印象的な場面でした。探し出せなかったシテは松明を投げて、野に火を放ちます。「この野に火をとぼし。狩の如く漁りければ」

 尋常ではない妹への執着心。これは兄妹相姦を暗示しているのだと中西進教授は言います。「鬼はや一口に食ひてけり。『あなや』と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり」 異性の兄弟に擬似恋愛めいた気持ちを抱く話って多いです。古くは『古事記』に実際に事に及んで身を亡ぼした軽皇子・軽嬢の話があり、近代でいえば芥川龍之介や正岡子規に伺えるのだそうです。

 曲の最後の方で、基経と高子は向き合い、地謡が「げに心から唐衣。着つつ慣れにし妻しあれば」が謡います。そしてシテは「遥々来ぬる。恋路の坂行くは。苦しや宇津の山」と謡ながら高子に近づきますが、拒否するかのように退かれ、左手にて自らの身を抱いて少し俯きます。業平の「杜若の歌」を踏まえた謡ですが、基経が「着つつ慣れにし妻」である高子がいるからこそ、武蔵野まで追いかけてきたってことを言っているのだと思います。同時に業平の和歌を使うことで、お前を想っているのは業平だけではないのだ、なんてことも言ってると感じるのは深読みのし過ぎでしょうか。

 高子は25歳になってようやく9歳年下の清和天皇に入内し、後の陽成天皇を産みます。しかし陽成天皇は、摂政となった基経と対立し在位7年で退位させられてしまい、後継には文徳天皇の弟・光孝天皇が即位。高子・陽成の系統の皇統は絶えます。皇太后となっていた高子自身も55歳の時、善祐という僧侶と密通したとしてその位を廃されました。

 実際に基経と高子の間にそんなことがあったのかどうかは全く分かりません。能『雲林院』で描かれているのは、世阿弥の時代の『伊勢物語』解釈ですし。でも、そういう関係があったのかもと思ってみると、基経の強い恨みめいた執着心を感じてしまいます…。しかし密通というと大事ですが、夫の清和上皇は早く亡くなってますし、55歳からの新しい恋愛と考えれば、現代では構わない気もするんですけれどねぇ…。

 …と古代史好き、古典文学好きな私にはとっても楽しめた世阿弥本『雲林院』でした。ただ上に書いた立回りの部分は良かったですが、ほかの部分の演技は説明的な感じが強くて、あんまり能としてこなれてないなぁという印象です。「世阿弥本による」といっても残っているのは詞章だけで、型や囃子・間狂言などは新作なんでしょうから、もっと工夫をして練っていただいて、また見たい能です。

 と、後場についてばかり書きましたが、前場は現行の『雲林院』とほぼ同じです。一部謡が違う部分がありますが、後シテの人格の違いによる当然の違いかと思います。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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