2005年7月2日(土)14時開演 於:ピッコロシアター大ホール
★解説「狂言ってなぁに?」善竹隆司
★大蔵流狂言『水掛聟』
シテ(聟)=善竹隆平
アド(舅)=善竹忠一郎
アド(女)=上吉川徹
★大蔵流狂言『仏師』
シテ(すっぱ)=善竹隆司
アド(田舎者)=道下正裕
★大蔵流狂言『梟』
シテ(山伏)=善竹隆平
アド(兄)=上西良介
アド(弟)=善竹隆司
「子どもと楽しむ」ですから、家族向けの催しでした。私は自立できてないですから、子どものつもりで(笑) 小学生ぐらいの子どもの客が多かったです。子どもって反応がストレートで、そういう楽しみ方って良いなって感じました。
★解説「狂言ってなぁに?」
善竹隆司師による解説。家族向けの公演ですから、子どもにも分かりやすいように難しい言葉を避けてのもの。それでも狂言の概要・舞台・登場人物・小道具(扇)・発声・今日の演目のあらすじなど、非常に行き届いたものでした。発声に関しては実演も。「名乗リ」「笑い」「泣き」。私、舞台以外で隆司師が喋ってらっしゃるのを見るのは初めてでしたが、時折ユーモアも混ぜて、お上手でした。隆司師は、学校狂言などでも解説を担当されるそうで、随分慣れてらっしゃる感じ。
★大蔵流狂言『水掛聟』
夏の日照り続きのある日、舅は田に水がないのに気付きます。隣の田を持つ聟が水を取ったのだろうと、自分の田に水を引いて帰ります。一方聟も田の見回りに来ると、水がなくなっているので水を引き直します。翌日、舅がまた自分の田へ水を引いて番をしていると、聟が来て水をめぐって口論になります。そのうち水や泥を掛け合い、組み付いて喧嘩をしていると、妻が駆けつけ、中に入って止めようとしますが、結局、聟に味方して父親を夫婦で転ばして仲睦まじく立ち去るのでした。
数日前から雨も降り始めましたが、それまでカラ梅雨だったので、水の大切さをちょっと実感する狂言です。何度見ても、娘ってのは父親より夫(恋人)を取るのか、と思ってしまいますが。私の年齢なら、聟に思い入れがあっても良さそうなものなんですが、どうも舅の方に思い入れが強いです(^^;)
善竹忠一郎師の頑固な舅っぷりが良かったです~。隣の田から自分の田に水を引き込んだのも、水や泥を掛けたのも、舅が先なんですけど、それでも偉そうなのが好き。最後の「やい。親をこのようにして、汝らの行く末も悪しいぞ」(だったかな?)という負け惜しみまで立派(笑)
★大蔵流狂言『仏師』
田舎の男は持仏堂に安置する仏像を作ってもらおうと都へやってきます。しかし、肝心の仏師を知らないため、往来を大声で探していると、すっぱ(詐欺師)が自分こそ仏師だと名乗り、口からのでまかせで信用させ、結局、等身大の吉祥天女の像を明日までに作る約束をします。そして自分で面をかぶって仏像に成りすまし、田舎者をだまそうとしますが、田舎者が印相のことでいろいろ注文を付けるので、仏像と仏師の二役をする間に、正体を見破られて追い込まれてしまうのでした。
前半にすっぱが、厳めしい仁王はともかく、四天王に踏まれている天邪鬼(あまのじゃく)を作ろうと言ったり、完成時期に関して「急げば明日の今時分、急がずば来年の今時分」と言ったりするのは大好きなところです。極端過ぎ(笑) でも、この狂言の中心はなんといっても、仏像のフリで変な格好(印相)をする部分ですね。こういう体を使った表現は強い! 子どもたちにも大ウケでした。
★大蔵流狂言『梟』
数日前に弟が山から帰ってから病気になった男が、山伏のところに祈祷を頼みに行きます。山伏はさっそく男の家に赴き、弟の様子を見て祈祷を始めると、弟は鳴き声をあげて山伏を威嚇します。兄の話から、弟は家まで梟の巣にいたずらをしたことが分かり、山伏は梟が憑いたものであろうと懸命に祈ります。しかし、弟は鳴き続け、ついに兄まで鳴き出す。山伏はさらに力を込めて兄弟を祈るが効き目がなく、最後には山伏まで鳴き出してしまうのでした。
梟の鳴き声「ホッホー!」は強烈! 終わった後も客席のあちこちで「ホッホー」「ホッホー」と鳴き真似をする男の子たち?が続出しました。山伏の次には客にまで憑くなんて、とても強い梟の霊です(笑)
この山伏は「野に伏し山に伏し、あるいは流れを枕とし」の山伏ではなくて、きちんとした家に住んでいて、兄が訪ねて行くあたりが特殊です。それに併せて装束も篠懸に水衣はそのままでしたが、大口袴は履かず着流しで、頭にかぶるのも兜巾ではなくて、沙門頭巾というのでしょうか、僧侶の役で使われる頭巾をかぶっていました。こういった変化も良いですね。
それにしても、とにかくマジメなイメージのある善竹家のみなさんが「ホッホー」「ホッホー」と叫びまわるのは、ギャップという意味でも最高でした。こんなに何も余計なことが考えずにゲラゲラ笑ったのも久しぶり(^^)
「水掛聟」は未見なのでよくわかりませんが、「仏師」と「梟」は子供には受けたでしょうね~。見所の様子が見えるようです。真似しながら帰った子もいるでしょうね。
>娘ってのは父親より夫(恋人)を取るのか
長男と結婚した者の実感として、また友だちの話も総合してですが、息子は妻より母を取る場合も多いかもしれません(笑)。娘は、どうでしょうね、やっぱり夫ですかね。
『仏師』の後の休憩では『仏師』の真似をしている子がいましたが、『梟』の後の方がかなり多かったです。「ホッホー」は強力です! ホールの外に出て、駅まで歩いている間にも何人かいましたし(笑)
◆親か配偶者か。
参考までに承っておきます(笑) 私、『水掛聟』を見るといつも最後に一人残る舅の方を近しく感じてしまうんですよね。夏の狂言ですから、この季節、見られる機会があるかもしれませんよ。しかし、最後に妻が夫に「のう、愛しい人。こちにおりゃれ。こちにおりゃれ」っていうんですが、狂言の全曲中でも、特に甘ったるいセリフだと思ってます(笑)
「子どもと楽しむ狂言会」
「子どもと楽しむ狂言会」
2005年7月2日(土)14時開演
会場:兵庫県青少年創造劇場<ピッコロシアター>大ホール
*解説「狂言ってなぁに?」 善竹隆司
*狂言「水掛聟」 聟:善竹隆平 舅:善竹忠一郎 女:上吉川徹
*狂言「佛師」 すっぱ:
ゆげひさん、こんばんは。
トラックバックさせて頂きました♪
子どもが多いと客席の雰囲気が随分違いますねー。
台詞や動きに対する素直な笑い、鋭いツッコミ、「ホッホー」の影響力・・・、おもしろかったです(笑)
>甘ったるいセリフ
昨年の社仲会で『水掛聟』の妻を演じさせて頂いたのですが、本番でこのセリフを言う時、自分でもびっくりするくらい幸せな気持ちになりました(笑)
当時の親子関係がどんなものかは分からないですが、父親は何をしたって自分の味方をしてくれるという安心感があるからこそ、あっさりと聟と帰ってしまうんじゃないかなーと思います。この部分は、いろいろな解釈があるんでしょうねー。
さおりさん、おはようございます。
トラックバック、ありがとうございます~。
子どもたちの素直な反応って、狂言を楽しむ上で一番大切なことかな、
と感じた会でしたね(^^) 変に理屈っぽく考え込んだりしてはもったいない。
「父親は何をしたって自分の味方をしてくれる」確かにそんなところ、
ありそうですね。親子の縁は切れないものですし。『貰聟』の舅なども
端から見ていると、損な役のようにも思いますけど、娘への愛情は
かなり感じますもの。
>『貰聟』の舅なども端から見ていると、損な役のようにも思いますけど、娘への愛情はかなり感じますもの。
娘が帰って来た時の一言目が、「またか」ですものねー。
前にも同じようなことがあったのに、やっぱりかまってくれるんですよ(笑)舅と聟と両方の気持ちが分かる男性にとっては、複雑なものなんでしょうかね~(^_^;
狂言全般にいえることですが、舅と聟が出てくる狂言は
特にそれぞれの心情がかなり分かる、というか、親しみがあっていいですね~。
舅と聟と両方の気持ちが分かってるわけでもないのですが、
やっぱり男ですので、男の心情により共感しやすい部分はあります(^^)