住所:三重県多気郡明和町斎宮3043-3(近鉄山田線「斎宮」駅)
伊勢の斎宮(三重県多気郡明和町)に行って来ました。私の一応本業であるところの史学生としての、レポートのネタを仕入れるためです。能や狂言の関係で中世にハマりっきりですが、私の専門は古代史なんですよ(^^;)
斎宮(さいくう・いつきのみや)は飛鳥時代から南北朝時代にかけての約660年間に渡って、天皇の代わりに伊勢神宮に使えた未婚の皇女斎王(さいおう・いつきのきみ)の宮殿があった場所です。初めは小さな組織だったようですが、奈良時代から平安時代の初期にかけて拡充され、都(平安京)と同じ、碁盤目状の地割を持った壮大な宮城となりました。
斎王に仕える役所である斎宮寮の役人だけで500人。実際にはその家族や現地採用の下働きもいたでしょうから、膨大な人数が暮らしていました。実に東西2km、南北0.7km、総面積は137ha。古代日本において、京都・大宰府と並ぶ巨大都市だったのです。
現在、斎宮歴史博物館(映像展示が特に秀逸!)・斎宮1/10復元模型(一番上の写真)・いつきのみや歴史体験館(寝殿造風の建物の中で平安装束の着付けや、双六・打鞠・貝覆いなどの平安時代の遊びを実際に体験できます!しかも入場無料)などを中心に、史跡全体がサイトミュージアムとして整備されています。私も史跡の端まで史跡めぐりをしながら歩いて楽しみ…疲れ果てました(笑) 買った図録や本(合計5冊!)を持ち歩いていたもので、重くて重くて(^^;)
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→斎宮と能『絵馬』
→斎王せんべい
→斎宮の歌碑
例年6月第一土日に、「斎王まつり」ってあるんですよ。
↓が祭のURLです。イベントですけどね♪
http://saioh.sub.jp/
存じていますよ~。
何といっても、斎宮に行けばたくさん宣伝されてますから(笑)
しかし、斎宮というのは、歴史的にも知名度が決して高くないので
(でも、王権と祭祀の関係を考える上では絶対に外せないものだと
思っていますが)こういうイベントが行われたり、体験館があったり、
博物館でも映像展示に力が入っていたりと、目で見える形で
アピールされるのは大切なことだと思います。
私も、3年前に伊勢で雅楽講習を受けた帰りに、ここらあたりに立ち寄りましたよ。頭でも体でも知ることが出来るというのは、良いですよね。
で、いつきのみや歴史体験館の方だったと思いますが、庭で蹴鞠が出来たんですよ。私ですか?雅楽仲間とやりましたよ、スリッパ履きで…木履(でしたか?あの頃の履物は)も勿論あったんですが、皆初めてだし飛ばしそうで危なかったので(苦笑)。いい思い出です(^^)
りんどうさん、コメントありがとうございます~。
伊勢で雅楽講習なんてのもやっているのですね。
文章だけでなくて、実際に見て、触って、歩いて体験できる
史跡として、斎宮はよく整えられていると思います。
いつきのみや歴史体験館では、確かに蹴鞠もできるようですね。
でも、平安時代のものを再現した木靴(浅履といいます)を
履いて蹴鞠をしないで下さい、と注意履きがありましたよ(笑)
平安時代以前はあの靴でやっていたのでしょうか?
すぐ靴が脱げてしまいそうなんですけれど。
…中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのシーンみたいですね(^^)
11月3日から5日にかけて私も斎宮を訪れました。(毎日行きました)駅から降りての感想は・・・「なんにもない!」江戸時代の学者が(新井白石でしたか?)いだいた思いとまったく同じショックを受けました。博物館までは遠いですね。でも歩道に沿って歌碑がたてられてたりして、地元の人たちが史跡を大切にしている様子がうかがえました。斎王の森から、沈みゆく夕陽を眺めて、かつて華やかであったろう「竹の都」の有為転変を思いました。
コメントありがとうございます(^^)
確かに斎宮の駅の近くにはあまり何もないですよね。
斎宮歴史博物館までは少し離れていますが、1/10模型を通り、
さらに大津皇子も通ったかも知れないという、奈良時代以前の官道跡を
歩道にした道を歩くということもできますよ(^^)
歌碑はちょっと文字が達筆すぎて、読み辛いのが難点でしょうか。
「し」を「志」という字を使って書かれていたりして、難儀しました(苦笑)
斎王の森は江戸時代から斎王の宮跡と伝承されていた場所で、
現在は伊勢神宮の管理地ですが、斎宮の史跡からは外れているのですよね。
むしろ近鉄線のすぐ南側にある竹神社が斎王の宮跡ではないか、と
言われています。