芝居譚

芝居譚
(十三代)片岡仁左衛門『芝居譚』河出書房新社、1992年

京都嵯峨に居を構えてらっしゃった歌舞伎役者・十三代片岡仁左衛門さんの本。前に中村勘三郎さんの本のことを書いた時、みゆみゆさんが「個人的に贔屓の(当代)仁左衛門さんの本もお薦めです(^^)」とコメント下さったので図書館で借りたのですが、読んでみると亡くなられた御先代でした(笑)

私は前にも「山本東次郎」でも似たようなことをしてますが、代々同じ名前が襲名される業界は、図書館の検索ではややこしい(^^;)

前半は京都新聞に掲載されたコラムを中心にした随想。真ん中に歌舞伎入門者向けの文章が挟まって、後半は歌舞伎の業界誌『演劇界』に掲載された芸談。芸談は歌舞伎を見た経験が絶対的に足りない私には、全然分かりませんでした(涙)

しかし、随想は舞台生活80年以上を過ごされてきた役者だからこそ、醸し出せる穏やかで無駄がなく、ただその役でいる境地を書いてらっしゃいます。京都の役者なので、上方と江戸との違いといった話も多いです。

荒事の、目をむいて足を踏んばるという芸は、ひじょうに様式的ですから形としてとらえやすい。そこで江戸(東京)では先人の形、すなわち”型”をまねることから演技を始めます。
和事は、色男の和らかくやさしい姿を写す芸、つまり風情の芸ですから形としてはとらえにくい。そこで上方(大阪)では先輩のやってきた精神、役の性根を学び、それを自分にあうよう工夫して身につけます。ですからむかし大阪では、先輩と同じことをやると「あの人は工夫がない」と言われたものです。ところが型の通りにすることを良しとする東京では、工夫して違ったことをやると「あの人はものを知らない」と言われたものです。

なるほど~と。私は関西好きなので、こういう話は大好きです(^^) また十三代仁左衛門さんは昭和40年前後に、衰退していた上方歌舞伎を私財を投じて会を主催、支えて乗り越えたという自負からも「上方」を主張されたいのだと思います。

もちろん、むやみやたらに変えるのではなくて、「それにしても自分がわからないからといって、一時にしろ、むやみに葬ってしまおうとした自分を反省したのでした」とあるように、十二分に理解した上で…の話だそうですが。

京都のやわらかい感じがありますね。京都の行事のこともいくつか書いてあって、茂山千作師の著書『京都の狂言師』にも通じるところがあります。そういえば、随筆の中で「茂山さんのお狂言の会」の話もありました。この中の「千作さん」は、ご先代のようですが。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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2件のフィードバック

  1. みゆみゆ より:

    たぶん、私もこれ読んだと思います・・。
    十三代目さんの本は何冊かあって、何を読んだのか分からない・・・(^^;;。
    私は十三代目さんの舞台も見ておらず、本や映像のみですが、そのお人柄が本当に素敵だなぁと思います。
    ご覧になった方の話ですと「背中で語る」芸だったそうですよ。
    関西の和事だと、当代仁左衛門さんのアホなぼんぼん男(「あほぼん」と私は呼ぶ・笑)なんか最高です。親より年上ですが「可愛いぃ!!」と思ってしまう位です。なんだろう・・・まろやか・・・って感じですかね(笑)
    関西歌舞伎の衰退時に私財を投じて、関西の歌舞伎を支えてきたお話は、本当に頭が下がる思いです。当代仁左衛門さんも相当苦労していますし・・・。
    その当代仁左衛門さんも上方の演出とかをいろいろとなさっていますが、江戸、上方に関わらず役の本質をとらえる、と仰っていました。突き詰めていくとそういうことになるかもしれませんね。

  2. コメントありがとうございます。
    十三代片岡仁左衛門さんは「背中で語る」芸だったのですか。
    ステキそうですね~。
    また歌舞伎は見て行きたいと思っているので、
    当代の片岡仁左衛門さんも拝見したいものです。
    >>突き詰めていくとそういうことになるかもしれませんね。
    歌舞伎は詳しくないですけど、十三代の文章を読んだ限りでは
    上方・江戸はプロセスの仕方の違いであって、最終的にはどちらも
    関係なく、「役の本質」になっていくでしょうね。
    これは能や狂言でも同じようなことが言えるでしょうけれど。