泉鏡花『歌行燈』

4101056013 歌行燈・高野聖
泉鏡花
新潮社 1967
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 去年の10月、泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』と『天守物語』の感想をこの「管理人日記」で書いた時に、もっこすさんからオススメいただいたのがこの『歌行燈』。随分遅くなりましたが、やっと読みました。

 前も書きましたが、泉鏡花は母方の親族が能楽師だったり、生誕地・金沢が能楽に関わりの深い土地であることから、作品に能楽の影響が窺えるという指摘があります。なにせ『能・狂言事典[新訂増補版]』に「泉鏡花」の項があるほど。『夜叉ヶ池』や『天守物語』を読んでいると、能や狂言に通じるものを確かに感じましたが…『歌行燈』にはもっと直接的に能(仕舞)が登場します。

 かなりドラマチックな作品で、あらすじを書くと作品に仕掛けられた効果を薄めてしまうと思うので書きませんが、はじめは『東海道中膝栗毛』(いわゆる「弥二さん喜多さん」)を気取った2人の老人の登場で、ゆったりと軽い雰囲気で始まりつつも、全体が徐々に調子を上げながら最後の『玉之段』の舞に向けて収束して行くのは見事としか言えません。

 巻末の解説には「その進行法は、能楽の構成原理である序は旧五段の強調漸層法にのっとっている」とありますが、いろいろな伏線が明らかにされた後半からの展開は、まさに能の後場を見ているかのようだと感じました。その『玉之段』の舞を通して、いろいろな柵から登場人物たちが開放されていくかのようでした。舞を舞い、謡を謡い、鼓を打つ、その時の恍惚感を知っている人じゃないと、この文章を書けませんよね。

(もちろん知っているだけではダメで、泉鏡花の文章力があってこそ、きちんと形になるんですけれど・苦笑)

 この本には『歌行燈』の他に『高野聖』『女客』『国貞えがく』『売色鴨南蛮』の4編が収められていますが、『夜叉ヶ池』『天守物語』も含めて、その文章に透明感のあることを感じさせられます。特に女性の描き方。泉鏡花は幼くして母と死に別れているので、フェミニストで少々マザコンだったそうですが、文章を読んでいると、どこまでも透明で美しく、そして強くて弱い女性が目の裏に浮かんでくるかのようです。

 能楽以外に、歌舞伎や浄瑠璃などを踏まえた表現もいくつかありました。当時の読者はそれらの芸能のことも分かっていたんでしょうね…。懸命に注をめくりながら読む私とは大違いです(汗) でも『歌行燈』にあった

 可いかね、その気だもの……旅籠屋の女中が出てお給仕をする前では、阿父(おとつ)さんが大の禁句さ。……与一兵衛じゃあるめえし、汝(てめえ)、定九郎のように呼ぶなえ、と唇を捻曲げて、叔父さんとも言わせねぇ、兄さんと呼べ、との御意だね。
(泉鏡花『歌行燈・高野聖』新潮社、222頁)

という部分は、前に歌舞伎で見た『仮名手本忠臣蔵』の五段目だ!と分かって嬉しかったです(笑) 私が見た斧定九郎は「五十両」の一言しかセリフがありませんでしたが、与市兵衛に「オーイオーイ親父殿」と呼びかける場合もあるそうで、それを踏まえているんですね。

 また泉鏡花の別の作品も読みたいです。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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8件のフィードバック

  1. もっこす より:

    お、読まれましたか。
    いいですよね~、泉鏡花。
    私はあれから結局一つも泉鏡花の作品を読んでなくて、どうしようもないんですが、つい先日、知人から『歌行燈』関連の話を聞きました。
    それは映画版『歌行燈』(1943年)です。
    原作はまさしくこの泉鏡花の『歌行燈』。
    監督は今年生誕100年の成瀬巳喜男、脚本は久保田万太郎、そして主演は山田五十鈴です。
    その人いわく、脚本が安っぽいメロドラマで、新派大悲劇にした嫌いがあるそうなんですが、山田五十鈴の仕舞がよかったそうです。
    私も近いうちにビデオ屋で探して見てみたいと思ってるところです。
    それか、生誕100周年記念でどっかで上映してくれないかなあ。

  2. しずく より:

    私のブログへのコメント&トラバありがとうございました。
    見てもらえるか、あまり期待せず書いたりしてましたが、書いてみるもんですね!
    しかも、私の記事、紹介して頂いちゃって!!
    ほんと、感激です。ありがとうございます(^-^ )
    泉鏡花、また私も読んでみたいと思います。

  3. ryun より:

    歌行灯、内容はよく覚えていないのですが、この小説は鼓の音で覚えています。序破急ではないけれども終幕に向けて鼓の音が私の身体の中でますます激しく響き、意味より内容より、その鼓の音と響きに誘われて一気に読んでしまったことだけを覚えています。
    泉鏡花というのは不思議な魅力を持った作家だと思います。

  4. ★もっこすさん
    遅くなりましたが、ようやく読みました。
    映画『歌行燈』は先日、BSか何かで放送されたらしく
    ブログを「歌行燈」で検索すると、いくつか感想を見ました(^^)
    監督その他の方々のお名前は、残念ながら
    私は存じ上げないのですが、1943年といえば戦争中。
    そんな時代にも良い映画が作られていたのですね。
    ★しずくさん
    しずくさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
    ブログですもの、誰かに見てもらえてなんぼ。
    同じ話題を持っているのですから、繋がって、
    広がりが出たら良いなぁなんて思ってリンクさせていただきました。
    私もまた他の泉鏡花作品を読んでみようと思います。
    次は何にしようか…。
    ★ryunさん
    コメントありがとうございます~。
    『玉之段』が謡い直される時に入る小鼓がまた印象的ですよね。
    私が囃子を習っていることもあるのでしょうが、
    謡の部分を読んでいると、小鼓の音が加わって聞こえてくるかのような
    不思議な高揚感があったのは私も同じです。

  5. ぼんぼり より:

    歌行燈の舞台となったのは桑名の船津屋という
    料亭ですね。私の祖母の生家がその隣りにあったそうです。
    でも戦災ですべて焼けてしまいました。
    今の船津屋は戦後再建されたものだと思います。
    (遅まきのコメントでごめんなさい)

  6. ぼんぼりさん、こんにちは。
    泉鏡花は『歌行燈』を書く前年に、
    伊勢の山田・鳥羽・桑名を友人たちと旅行しているそうですね。
    読んでいると、その経験が『歌行燈』に
    反映していんだろうなぁと思います。
    桑名で泊まったのが、船津屋(作中では「湊屋」)ですが、
    その門前に『歌行燈』を戯曲化した久保田万太郎という方が
    詠んだ句碑があるそうです。
    http://kanko.city.kuwana.mie.jp/history/utaandon/flash.html

  7. ウェストゴーイング より:

    ・『歌行燈』映画は二本あって、成瀬巳喜男版(昭18、東宝)と衣笠貞之助版(昭35、大映)で、いずれもVHS化されてますが、リサイクル・ショップ・アイテムになっています。
    ・前者の主演は、花柳章太郎と山田五十鈴。後者は、市川雷蔵と山本富士子です。後者はカラー作品できれいですが、原作により忠実なのは、前者(成瀬版、モノクロ)のほうです。
    ・成瀬版のシナリオは久保田万太郎ですが、シナリオに先行する戯曲があり、久保田の戯曲集『歌行燈その他』(昭、16、小山書店)にまとまっています。私見ですが、できのいい戯曲です。同書あとがきによれば、こういういきさつのようです。
    ・昭14.かねてより『歌行燈』の映画化を企画していた東宝が、久保田に話をもちかけた。シナリオ経験に乏しく、舞台用戯曲ならお手のものだった久保田は、段階的にまず舞台を想定して脚色してはと考え、泉鏡花の意向を仰いだ。やってみなさいとの答。
    ・久保田は桑名へと取材に出かけ、船津屋に宿泊。古くからの芸者さんから、土地の古い唄などを教わったりしたようです。
    ・戯曲第一稿は、鏡花の審査をパスしたものの、その夏、鏡花は他界してしまいます。
    ・翌昭15.春、戯曲の雑誌発表。7月、新派が明治座で初演。
    ・物語の骨格をなす配役、花柳章太郎・大矢市次郎・伊志井寛・柳永二郎は、成瀬版映画と同じです。ただし、この時点ではまだ、映画化の具体的予定はなかったようです。
    ・この初演俳優たちに、当代の人気女優である山田五十鈴を加えて、三年後に成ったのが、成瀬版映画ということになります。戯曲にさらに手を入れた久保田シナリオが採用されて。
    ・わたしのように、かつての新派の名優たちの姿を、子どもごころに記憶しているものにとっては、もし山田五十鈴の場所に水谷八重子(先代)がいれば、成瀬版は新派そのもの。懐かしくて懐かしくて、ワクワクする映画です。
    ---ぜひ、ごらんください。

  8. ウェストゴーイングさん、初めまして。
    詳しい情報をありがとうございます。
    参考にして、ビデオを探してみたいと思います。