今、『野村万蔵著作集』(六世野村万蔵著、1982年、五月書房)を読んでます。六世野村万蔵師(1898-1978)は狂言方和泉流・野村万蔵家の六代目当主で、最近襲名なさった今の九世万蔵師にとっては祖父にあたる方です。ちなみに人間国宝(重要無形文化財技術保持者・個別指定)。
この本を読む気になったきっかけは、さおりさんのブログの「羽織の紐のようには」という記事。今でこそ、能役者・狂言役者の方々も普通に洋服を着てらっしゃいますけど、昔は当然きものだったわけで。
特に六世万蔵師は、ワシントン大学アジア芸術センターに客員教授として招かれた時もきもの姿で通されたりと、特にきものを好まれた方だったようですね。人物の表現にしても「紺絣を着るような青年」なんて文章があったりします。「紺絣」がどんなきものであるか、から調べなければ分からない私はホントに無知です(汗)
ところで狂言には、世間知らずの聟が聟入り(結婚後、夫が初めて妻の生家を訪れる中世の儀式)に行くときに、恥ずかしがって親に付いて来てもらうのですが、正装の袴をはく必要があるものの、一着しかなく、親子で代わる代わるはき換えて舅の前に出て挨拶をするという『二人袴』という曲があります。
野村万蔵家では、『二人袴』の中で聟が右から袴をはく「型」があるらしいのですが、袴というのは必ず左からはくものなんですよね。私も、先輩からそう教えられました。しかし、それを敢えて破った演技をするのです。それは
「二人袴」の聟の場合は、その詞にあるように、聟入りに際し始めて袴を着る、しかも借着なのであります。右足から踏み込むのは、袴のはき方について無知なことの表現であって、昔の人の注意深さがこの辺にも窺われると思います。
(『野村万蔵著作集』p222)
なるほど~。細かいところですが、面白いですね。ちなみに切腹の時に限って袴は右からはいたんだそうで、つまり右からだと不吉なんですね。
不吉と言えば、きものを「左前」に着ると死に装束になるといって、忌み嫌いますよね。でも、私は人に着せることになった時、向かい合って作業したために普段と逆の、左前に着せてしまったことがあります。気付いた瞬間、とにかく平謝り(^^;)
おお~~!!!謎が解けました!
>野村万蔵家では、『二人袴』の中で聟が右から袴をはく「型」があるらしいのですが、
正にその型を見たことがあります。「なんで右なんやろ?」と疑問に思っていました。細かい表現ですね~。
細かい表現ながら、
狂言役者の方々には大切にして欲しい型ですよね(^^)
こんなことを書いておきながら、大蔵流を含めて、
狂言『二人袴』を私、見たことがないんです(^^;)
だから、早く観たいです。