大鼓の稽古《熊坂》

1ヶ月以上の間を空けての稽古

8月下旬に、1ヶ月以上の間を空けて、やっと大鼓の稽古に行くことができました。前に大師匠のところの浴衣会に参加して以来の初お稽古。仕事をしながら稽古に行くというのは大変だなぁと改めて感じています。

というわけで、お稽古のために休みを取る最近なんですが、その休みも今ひとつ上手く取れません。稽古場の引き戸を空けて、師匠に「お久しぶりです」と挨拶する自分がちょっと悲しかったです。

曲は《熊坂》。長刀を構えた大盗賊・熊坂長範が牛若丸の旅宿に討ち入ったものの、逆に倒されてしまった様を仕方話で物語る部分。修羅ノリと呼ばれる強く詰めた謡が続き、大鼓も併せて息を詰めた強い掛け声を掛けねばならない曲ですが…全然ダメでした。

まず、手が覚えきれていない。覚えたつもり、では意味がありません。間違えずに打てるのは最低条件なのです。何よりも覚えるのは自分一人で出来ることですから。覚えた上で、師匠に改善点を指摘していただき、さらに曲の解釈などのお話をうかがうことこそが「お稽古」なのに…。

記憶が曖昧で打っているのですから、その不安が掛け声にも影響して、息を詰めた掛け声からは程遠い。せっかく休みを取って、時間とお金を使ってお稽古に行っても、最低条件を満たせてないと意味がない。自分で意味をなくしてるんですから、ホント情けない。そろそろ稽古歴6年になるのに、一番基本の心構えが出来てないわけで…。

「仕事が忙しいから」は言い訳です。ましてや自分が好きでやっているお稽古。好きでやっているからこそ真剣にやれないなんて、ホント最悪だと思った日でした。次のお稽古は全力でやりたいものです…。

しかし、次の《通小町》の手附を見てると…謡をあまり知りませんし、分からない手もあります。ただ頑張るでは済まないですね、これは…(^^;)

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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5件のフィードバック

  1. ゴジラ より:

    お久しぶりです!
    お仕事、お忙しそうですね…
    なんかお稽古の話が懐かしくて、喰いついてしまいました(笑)
    好きなことに真剣に取り組む先輩が懐かしくもあり、尊敬できるところです!
    これからも体調に気をつけて頑張って下さい!!

  2. てっぺい より:

    初コメさせていただきます。
    その場に居合わせてましたが後ろから見てて全然そんな風にはみえませんでしたよ。さすがだとおもいます!

  3. ★ゴジラ
    お久しぶり。コメントありがとう。
    そっか、もう半年経つんだもんね。
    ゴジラもお稽古に来たら良いのに(^m^)
    好きなことだから、真剣に取り組みたいんだよね。
    尊敬なんて言われると恥ずかしいけど。
    体だけには気をつけます。
    ホントしたいことも、しなくてはならないことも
    できなくなってしまうので…。
    ★てっぺい
    そうかな~。
    あの日は久しぶりの休み、久しぶりの稽古だったのに、
    思いっきり大鼓が打てなかったのが残念で残念で。
    いや~「全然そんな風にはみえ」なかったとしたら、
    それは6年間やってきたから、誤魔化す技術が
    身についてしまった、ってことかもね(^^;)
    もちろん不慮の事態に対応できるのは良いことなんだろうけど、
    それだけに頼ってちゃアカンよね(苦笑)

  4. ami より:

    >>まず、手が覚えきれていない。・・・
         ・・・いただくことこそが「お稽古」なのに…。
    けいこの心得
    身に染みました
    思えば初めて小鼓のお稽古に伺った時
    お師匠様が「竹生島」の謡の情景を語ってくださり
    それに感動して今日に至っていることを忘れておりました
    でもヒヨッコの弟子としては
    手を覚えることだけでも必死なんですが・・・

  5. ★amiさん
    身に染みました、と仰られましても(苦笑)
    私がここに書いていることをできていないわけで。
    手を覚えることもできていない未熟者です。
    ただ、私は本当の楽しさというのは、真剣に取り組んだ
    その結果から出てくるものだと思っているので。
    素人稽古だからと、自分で妥協してしまうのは嫌なのです。
    妥協してしまうと、能を習う醍醐味の半分以上が
    失われてしまうように思うので。
    ともかく、この日の稽古の自分の出来が悔しかったのです。