邯鄲いろいろ

 今日は大鼓の稽古でした。曲は『邯鄲』。

 出世を望んで邯鄲の里に来た青年・盧生は、枕を借りて仮寝をし、皇帝に即位したりと栄華を極めた夢を見ますが、覚めれば注文した粥が炊き上がるまでの束の間の事であったという「一炊の夢」の名前で知られる故事を能に仕立てた曲です。哲学的で、同時に派手な演出の効いた名曲なんですが、特に夢が醒めかける部分の謡が好きです。

 お稽古を受けたのは、シテが皇帝に即位して五十年の栄華の絶頂にある場面から、夢が醒めてしまう場面まで。一度通してから栄華の絶頂、そしてそこから現実へ戻って行くことを大鼓でどう表現するのか、そんなお話をお聞きしたのですが…難しいですよねたらーっ 華やかな大鼓、夢の中のぼやけた大鼓、現実に戻ってしっかりした大鼓等々…そろそろそれらの打ち分けをしろ、ということなんでしょうか。

 正直、まだ全然何も分かってはいなくて、ただただ手を覚えてその通り打ってるだけなんです。記憶力だけではダメだってことは分かっているんですが、その上のことは分かりません~。


 次に稽古を受ける曲は『菊慈童』なんですが、シテの最初の謡に「それ邯鄲の枕の夢。楽しむ事百年。慈童が枕は古への。思ひ寝なれば目も合わず」とあって邯鄲の枕の故事を引いて、昔の栄華と現在の境遇を対比させています。他の能でも引用されるぐらい、邯鄲の故事って有名だったんですね。

 「邯鄲」は元を辿れば中国河北省南部にある地名です。中国の戦国時代には趙の首都でした。現在は特に派手さはない一地方都市だそうですが、この故事の関係で日本での知名度は割と高いです。

 辞書で「邯鄲」と引くと派生語として「邯鄲師」という言葉がありました。「客が眠っている間にその金品を盗む者」の意味です。「邯鄲」で、寝ている人の意味になるんですね。面白いです。

 邯鄲関連の故事としては「邯鄲の歩み」というものもあります。趙の隣国・燕の人が邯鄲の都の人々の歩き方に憧れて習いに行ったが、会得できないうちに元々の歩き方も忘れてしまい這って帰ったという話です。転じて、自分の本分を忘れて他人を真似ると元の自分の本分まで失ってしまう意味。…まるで自分のことを言われているようで実に教訓的ですね(^^;)

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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