囃子の会で

 囃子の会で大鼓を打ってきました。全体的にはとても楽しかったです。力一杯打てましたし。

 ただ稽古ならともかく本番となると、私はとにかく精一杯…というと多少聞こえが良いですが、結局「余裕がない」んです。手の痛さは意識のどこかに吹っ飛んでしまって、汗をダラダラ流しながら、声を張り上げて打った…んですけど、それだけ。何十回も繰り返してお浚いしたのに、ただ丸暗記しただけで、コチコチに硬くて非常にガツガツした大鼓だったと感じています。書いていて連想したのは「遊びのないハンドル」。一番の見せどころでは急に不安を感じ、謡や他の囃子を探ってしまって見事にコケましたし。それがひたすら悔しくて。

 「余裕がない」のは大鼓に限ったことではなくて、私の場合何をするにしても、ですけれどね。「余裕がなくて失敗」か、逆に「余裕こき過ぎて失敗」というパターンが多いのです。もっといろんなことに余裕が持てる人間に成長するには、どうしたら良いのでしょうね…。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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7件のフィードバック

  1. みゆみゆ より:

    囃子の会、お疲れさまでした。
    私も会の後は、必ずへこみます(笑)
    余裕ないのも同じく(^^;。でも先生には
    「君はなんで、そんなに堂々としているのか?」と感心されます・・・・。
    そう見えるんです・・・・内心はびくついているのに・・・。
    何でだろう?と思いますが(笑)

  2. ぼんぼり より:

    あら 柏木さん
    その若さでもう余裕がほしいとは
    それでは私なんぞはどうしましょう(笑)
    舞台を沢山見て目を養い、本を読んで理解を深めたとしても
    自分が打ち、舞うためには長い年季がいるのですねえ。
    でも続けているとある時ひとつ階段が上れたり
    ふっとわかることがあってそれにつれて余裕も少しずつ
    といったところでしょうか。
    「稽古」とは自分の「手技」によって其のものの真髄を掴み取る努力であり、そこには知識によるよりも確かな手ごたえがあって、それこそが私にとっての稽古の喜びです。

  3. ぼんぼり より:

    「手技」というより「身体」方が適切かもしれません。
    なんかエラソーなこと言ってます<自分

  4. どどすけ より:

    ブログでは初めまして、ですね。
    先日の会ではお疲れ様でした。
    そんなに余裕なかったんですか?
    堂々とした打ち振りで、全然そうは見えませんでしたよ。
    長くされてるだけのことはあるなあ、と思いました。
    自分の方はかなり恥ずかしい舞台になってしまい(笛も舞も)、せめて次への発奮材料に、と気持ちを何とか切り替えているところです…
    まあその前に、来週本番の狂言の方を覚えないといけないのだけど(笑)。

  5. ゆーみん より:

    同じように多くの人の前に立って、何かをすることで見るなら、私としていることが同じだと思うので・・・。参考になるかどうかはお任せします。
    ようは、場数。
    慣れたら自然と余裕が出ます。
    方法としては、本番中に客観的にまわりをみるように気を配る。
    もしくは今の自分だけに必死にならず、誰かもっと上手い人のイメージを思い描きながらやってみるとか。
    「そんな余裕が無いから困ってるんだろうが~!」
    って、ツッコミたくなるだろうけど、違うんですね。
    余裕があるから、そうできるのではなくて、そうするからこそ「余裕」ができるということなんですよ。屁理屈のようにも聞こえますが、「意識・気持ち」という視点でみれば、大きな違いです。
    けど、場慣れを一度してしまった者から見れば、
    ゆげひさんのような状態はうらやましいのです。
    一度慣れてしまうと、心から「楽しい~!」って感じなくなります。余裕をもって冷静に状況を判断しながら、どのようにすれば成功するか考えながらするので、そこに「必死さ」が消えてしまうからです。余裕とはそういう弊害ももたらすのです。なんだか等価交換。
    「楽しい!」と思ってやっていたことを、次に「極めよう」としだした時に、ぶつかる壁だと、私は思っています。
    「余裕」とは、次にレベルアップしていくために必要な要素であり、「余裕」ができたからといって楽をするのは、愚の骨頂ですね。その時点で伸びることを止めてしまったのだから。
    いくら腕が上達しても、「楽しい」と向上心を持ってやっていきたいなと、私は思うわけですよ。
    長々と失礼いたしました。

  6. 瀬山 より:

    稽古会お疲れ様でした。
    どの曲を打たれたのですか?
    私も今月末と来月の頭に会を二つ控えています。
    曲は「安宅」と「巻絹」。
    余裕のある舞台はなかなか難しいですね。
    思ったように吹けた舞台なんてそうそうないですが
    これだけ稽古してこの結果ならばこれが実力なんだと
    自分に言い聞かせて、明日の稽古の糧にしています。

  7. コメントありがとうございました~。
    お返事がかなり遅くなってしまい、本当に申し訳ございません。
    今から書かせていただきます!
    ★みゆみゆさん
    会の後って、へこみますよね(^^;)
    もっとこうできたはず…と思ったりしてしまって。
    でも、見た目に堂々としていること、って大事だと思いますよ。
    やはりびくついてるようだと、上手そうには見えませんから(笑)
    ★ぼんぼりさん
    ぼんぼりさんが仰るように、稽古って、「身体」で
    そのものを感じ取る作業で、努力ですよね。
    本を読んだり、また見ているだけでは分からない部分を
    感じ取ることができる、それが面白さであり、喜びだって
    いうのは、全く同感です。
    余裕が欲しい、というか、必死過ぎてダメだな~と
    思ったということです。
    ★どどすけさん
    お疲れ様でした~。
    全然余裕がないですよ。汗ダラダラで、必死に
    次の手を考えながら打ってました。特に大小ものでは、
    小鼓の方にご迷惑をかけてしまったなぁ、と思いつつ。
    どどすけさんの笛の出番の次が私の出番だったので、
    しっかり拝聴できなかったのが残念です。
    舞は拝見させていただきましたけど、堂々としていてステキでした~。
    ★ゆーみん
    熱い書き込みありがとう!
    なんだか、これを読んでいて、いろいろ助かった気がしました。
    書き込みの内容もそうだし、書き込んでくれた
    ゆーみんの気持ちが嬉しくて(^^)
    客観的に見ることのできる力は欲しいですけれど、
    必死さは失いたくないというのは、全くその通り。
    まあ、上の文章を書いてから、ある程度時間が経って、
    今は、私はまだ、ただ必死に打つレベルなんだろうな、と
    思っています。余裕は欲しいけれど、作ろうとするのではなく、
    周囲を受け止められるぐらい、自分がしっかり打てるように
    なれば、と今の稽古への姿勢ですな。
    ★瀬山さん
    コメントありがとうございます。
    曲は『巻絹』でした。
    悔いのないだけ稽古はしたいですね。
    本番で稽古の8割も出せたら良い方だということを
    思い出して、もっとこれからも稽古に励みたいと
    思います。