文楽《心中天網島》と「桂吉朝の魅力」展

予定変更と文楽《心中天網島》

さて11月8日深夜。実家に帰っていたのですが、上司から「言うの忘れてたけど、○○の提出期限が明日やねん」と連絡が入り、次の9日朝、休みなのですが、慌てて大阪の宅へ戻り、職場まで持って行きました。

文楽《心中天網島》
この日は国立文楽劇場へ近松門左衛門作《心中天網島》を見に行く予定だったのですが、実家→家→職場と移動していると開演時間に間に合わず(T_T) せめてと幕見で「天満紙屋内の段」から見ることにしました。

文楽を見るのはこれで5~6回目ですが、心中物を見るのは初めて。見るまではあらすじを見て正直、「なんで死ぬん?生きろよ」と思っていたのですが、近松が上手いのか、見ている内に心中することが当然の成り行きに思えてくるのが不思議です。

また周囲の人々が死なずに済むよう心を砕くのに、それが却って裏目に出たりして。それが切ない。特に治兵衛の妻・おさんが良いです。私、文楽では「自分が苦しくても、意地(筋)を通そうとする女性」がとっても好みのようです。

以前に文楽の新作で見た《夫婦善哉》(原作:織田作之助)の蝶子もそんな感じでしたね。《太平記忠臣講釈》のおりゑも似た感じ。

最後の「道行名残りの橋尽し」も情緒たっぷりだったので、そのうち、もう一度きちんと《心中天網島》を最初から見たいな~と思っていたのですが、果たせぬまま11月文楽公演は終わってしまいました。はぁ~残念。

文楽の後はワッハ上方へ

文楽を見終わった後は、そのまま難波まで歩いて、ワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)へ。初めて行ったのですが、落語や講談・漫才・浪曲・奇術など上方演芸の歴史の展示があり、今まで桂米朝さんの著書などで、少しだけ知っていた世界が、写真や映像でより親しみを持てるようになりました。

「桂吉朝の魅力」展
ワッハ上方に行った目的は、展示室で、催されている特別展「桂吉朝の魅力」を見に行くためでした。桂吉朝さんは桂米朝さんの弟子で、師匠の端正で正統派な部分を多く引継ぎ、米朝一門のみならず、上方落語の次代を担う存在として将来を嘱望されていた方だったそうですが、残念ながら去年、50歳の若さで亡くなられました。その追悼展だったのですが、偶然ですが、私が行った前日(11月8日)が、ちょうど一周忌だったんですよね。

私は吉朝さんの落語を生で聞いたことはありません。聞きたいな~と思っていた矢先に亡くなられたので。本当に見たり、聞いたりしたい「生の芸」に触れるためには、思った時に行動しなければならないと、つくづく感じるばかり。しかし、CDを何枚か聞く限り、やっぱり良いなぁと思います。《七段目》とか好きですね。生ならもっと良かったでしょうね。

師匠の米朝さんほか、同門や弟子、交流のあった方々からの追悼メッセージが胸にささります。家に帰って、前に「桂米朝一門会」に行った時に買ったCDで、吉朝さん最後の高座となった《弱法師》を聞きました。亡くなられる10日ほど前のもので、録音でも伝わってくる渾身の話芸。私はその必死さに、ただただ圧倒されるのみでした。

最後となった高座は、直前の10月27日に国立文楽劇場で行われた「米朝・吉朝の会」。米朝は、吉朝たっての希望で、近年高座にかけることが少なくなっていた「狸の賽」を口演。吉朝は、当初「ふぐ鍋」と「弱法師」の2席を予定していたが、楽屋では医師付き添いのもと酸素を吸入しながら45分以上をかけて「弱法師」を熱演するのが精一杯で「ふぐ鍋」を演じる事は出来ず、「劇場の前を偶然通りかかった」という桂雀松が「替り目」代演して穴を埋めた。終演後しばらくは観客からの拍手が鳴り止まなかった。
Wikipedia「桂吉朝」

Pocket
LINEで送る

柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

オススメの記事