14日の土曜日。京都・法然院へ「五人囃子の会」へ行ってきました。最初には法然院の貫主・梶田真章さんのお話がありました。法話というのでしょうか。これが適度に笑いを混ぜつつも、ちょっと考えさせられる面白いものでしたので、囃子の感想とは別に、ちょっと書いてみようかと思います。
もっとも、あくまで私なりの受け取り方なので、貫主のお話から歪んでいる可能性もあります(苦笑)
今の世の中、ままなることが増えたがために、ちょっとままにならないことが深刻な悩みになったりする。昔は何もかもがままならないことだらけで、ままなることは有難い(滅多にない)と言っていたのに。文明が進んだために便利になったのだが、却って精神的には大変な時代になっている。
例えば毎年、年が変わると、何か頑張らねば!新しいことをしなくては!と考える人も多いけれど、同じことを繰り返すことも決して悪いことではない。新しいことをする必要はあるのだろうか。必要があって新しいことをするのは良いけれど、決して無理をする必要はない。そのままでも十分に価値があるのだ。そんな話でした。
同じことを繰り返す、というのは仏教的な輪廻の思想が背景にあるような仰り方だったような。浄土宗のことはあまり知りませんが、「南無阿弥陀仏」と仏に帰依するその姿勢はどこか、ただ謙虚に神の前に許しを請う(私にとっての)キリスト教に通じるところがあるような気がします。
張っていた肩の力が抜けて、少し楽になれた気がしました。やっぱり宗教って良いですね。自分自身は一応、キリスト教徒なんですが、神社やお寺は当然、モスクにまで遊びに行く汎伝統宗教ファンですもの(笑)
ご無沙汰。僕は無宗教者ですが、この前生国魂神社で厄年のお祓いを受けてきました。その話は又ミクシーでアップします。貫主の法話全く、「有り難い」話です。この会行ったら良かった(笑)
僕も人生に反省とか頑張りとか全然必要じゃないと思います。
人に頑張れとかもう何年も言うた事無いですし、有り難い事に、頑張れと声を掛けられる事も減ってきました。
あらら。来てはったんですね?
ありよも伺ってました☆(←せぬひまから、お囃子二日連続!)
笑かしてくれはりましたけど、なんや、ふぅっと気持ちを緩ませてくれはって。
毎年、桜は咲くんですよね。それが、有難いんですよ。
そんな、日本人的感性を、思い出させてくれはりました♪
しゃべるとずーっとしゃべり続ける、と言うてはりましたが
あーいうおしゃべりやったら、数時間しゃべってて欲しかったです♪
★Xinyiさん
お久しぶりです。
いやいや、法話よりあくまでお囃子が主体の会です(笑)
頑張りが要らない、というと、なんか難しいのですが、
もっと自然で良いのではないか、ってことなんだと思うのです。
窮屈な時代ですから。
★ありよさん
ありよさんのブログは拝読してますよ(^^)
コンビニとの比較だとか、
クリスマス→除夜の鐘→初詣の三連続の話だとか。
笑える部分は多々ありましたけれど、つまり入っている力が
抜けて、そこが笑えるんですよね。
日常当たり前だと思っていることが、どれだけ
「有難い」のか、ちょっと考えてしまいました。