能 華麗なる鼓筒蒔絵の世界

能 華麗なる鼓筒蒔絵の世界

 小鼓を取り挙げた催しで、去年、池坊むろまち美術館および京都観世会館で催された「生田コレクション展」の縮小版といった感じでした。

 催しの構成をされた大倉源次郎師がご自身のサイト「良い席のチケットが手に入りましたのでお申し出下さい」と書いてらっしゃったので、メールで源次郎師にチケットを申しこんだのですが、前から二列目の席で少々見上げる形に。「これじゃあ近過ぎる」と最初は思いましたが、第一部の時に、前に並べられた鼓の蒔絵まで見ることができたので、やっぱり二列目で良かったです。

能 華麗なる鼓筒蒔絵の世界
◆12月3日(土)14時半~ 於・茨木市民会館ユーアイホール
★生田コレクションについて 生田秀昭 ★鼓筒音くらべ 大倉源次郎
★大蔵流狂言『盆山』
 シテ(男)=善竹忠重
 アド(何某)=善竹忠亮
★観世流能『天鼓-弄鼓』
 前シテ(天鼓の父)/後シテ(天鼓の霊)=観世銕之丞
 ワキ(勅使)=江崎金治郎
 アイ(勅使の下人)=善竹忠重
 笛=赤井啓三 小鼓=大倉源次郎 大鼓=上野義雄 太鼓=上田慎也
 地頭=上田拓司

 開演前に、ロビーにて生田コレクションの鼓筒をいくつか展示。私もにらむように、覗き込んでいました(笑) 奥では小鼓体験講座が行われていて、小鼓方大倉流の若手の方々が参加者と一緒に「ん。ヨォ。ホォ」と掛け声を掛けています。単なる展示ではなくて、道具として触れられるようにされているのは良いですね。

 まず第一部。能・狂言の鑑賞の前に、コレクションの所有者である生田秀昭さんと大倉源次郎師による解説です。先ほどまで体験講座を担当されていた若手の方々によって、先ほどまでロビーに展示されていた鼓筒が舞台上にずらーっと並べられましたが、壮観です。大鼓方の上野義雄師も出てこられ、並べられた小鼓筒の中に、一本だけ大鼓の筒を置くとその大きさの差が際立ちました。

 まず、大鼓と小鼓の話から。室町時代の初期ぐらいまでは大鼓と小鼓を総称して、単に「鼓」と呼んでおり、分化していなかったとのこと。1300年代後半から1400年前半の、50年ぐらいで急速に分化したのではないかと考えていると生田さん。分化したばかりのころには大鼓と小鼓を両方打つ「兼任」の役者もいたらしく、現在も大倉流や観世流のように大小鼓で同じ名前の流派があるのは、祖が同じだからなんだそうです。現在はありませんが、かつては「幸流の大鼓」というのもあったそうです。

 鼓筒打ちくらべでは、古い鼓筒から。室町期の鼓筒は、能が野外で上演されていたこともあって、どちらかというと「遠くまで響く大きな音」が鳴るようになっている。それに対して、江戸期になると能も屋内での上演が増え、また小屋内で演じる歌舞伎の登場もあって、より「色のある音色」が求められたそうです。聞いていると、微妙な違いではありますが、仰っている通り江戸期の「道本」という作者による鼓の音は華やかな軽い「ポン」という音がしました。この後の能では「めくら折居」という、安土桃山時代の鼓筒を使われると仰ってました。

 また、古い筒は重くて560gぐらいあるそうです。それが道本になると460g前後になり、明治時代になって作られたものは芸者さん向けらしく300g台だとか。源次郎師が仰るには「500g以上のものはさすがに重い。けれど、あまり軽すぎると音に深みがない」そうで。使用される方ならではの感想ですね。

 それから、蒔絵は室町~安土桃山時代にはなかったという話も面白いです。実用第一だったのですね。それが江戸時代に入ると、幕府や大名に能楽師が抱えられるようになり、道具も高級化して蒔絵が施されるようになる。それ以前から伝わっていた道具にも蒔絵が施されたので、古いものほど筒の製作時代と、蒔絵の施された時代が一致しないのだそうです。

 小鼓筒に蒔絵が施されるようになると美術品としての価値も出てきて、筒の内側の細工をどれだけ凝るか追求した「漣カンナ」なども登場。その分、音色は今ひとつだそうですが(笑)本来の目的から離れた部分が追求されていくのも時代の流れでしょうか。

 去年の生田コレクション展の時に「小鼓」の冊子は買って読んでいたのですが、鼓筒の作者のあたりはさっぱり分からなかったのですたらーっ しかし、実物をひとつひとつ目の前で解説していただくと、少し分かってきたように思います(気がするだけ?)。また、同様の催しがあったら良いですねラッキー

 第二部の演能会は割と普通…。いや、楽しかったのですけれど、何か特別な感動はなかったのですよね。『盆山』の

「さて鯛というものはヒレを立てた後は必ず鳴くものじゃが、己は鳴かぬか」
「よ、みどもは未だ鯛の鳴いたを聞いたことがない」
「鳴かぬか」
「鳴かずばなるまい」
「鳴かずば人よ。人ならば芋刺しにしてやる(と剣を振りかぶる)」
「た、タ~イ! (横飛びしながら)タイ、タイ」
「なんの鯛!」

ってやりとりとか大好きなんですけれど(覚えてしまってるぐらい)、慣れてしまったのでしょうか(苦笑)

 能『天鼓』は割と親しみのある曲ながら、前場から全てを通して見たのは初めてかもしれません。しかし、ノリの良い「弄鼓之舞」で、少し入り込めた他はあまり印象が残ってません。あ、ワキも金ピカの装束で中国風であることを演出しているのに、アイの装束が普通の長裃(いわゆる”主”の格好)で、あくまでも日本人って感じだったのが違和感ありました。そういう「習い」なのかもしれませんが、全体の演出ってのもあるんじゃないかと感じます。


 …ところで、どーでも良い話ですが、会場の席でパンフレットを読んでいたところ「あ!」と思わず声を出してしまいました。それは催し名に「鼓筒」とあったこと。実は去年、生田コレクション展の紹介文を書いた時、「筒」と言葉を使ったところ「筒ではなくて胴だろう。不正確なことを書くな」というメールをいただいたのです。

 能に長年触れられているらしい方からのメールでしたし、私も言われてみるとそうかなと思って直しましたが、やはり、この催しの名前を見ても分かる通り「鼓筒」とも言うみたいです。その時にこの催しのチラシが手元にあれば反論できたのに!と思ったのでした(笑) 「胴」とも言うのは事実ですし、いろいろ指摘下さるのはありがたいのですが、何にしろ、上からの決め付けるような物言いをされるのは嫌ですよねノーノー

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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13件のフィードバック

  1. みゆみゆ より:

    TBとリンクありがとうございます。
    私は京都(お能初遠征!)と国立能楽堂の生田コレクションの催しに行きました。国立は体験コーナーなどありませんでしたが(場所が場所だけに?!)、京都はとても楽しかったです。国立も、四流派の方の打ち比べが面白かったですが。
    国立能楽堂の冊子(コレクション展の)も作者について、かなり詳しく載っていましたよ。こちらは文が主体です。

  2. kana より:

    トラバありがとうございました。京都の公演を主催した者です。
    「筒」については、いろいろ意見があるのですが、『鼓筒之鑑定』を著した生田耕一氏にならい、また生田さんのご意向もあり、催しでは「筒」に統一することに決めたものです。ただ、国立の担当者様はそこまで考慮されなかったようで、「鼓胴」になっています。大倉さんを含め能にかかわる方々は「どちらの表記もある」とおっしゃっています。いろいろとご意見ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  3. ★みゆみゆさん
    みゆみゆさんは生田コレクション関連の催しに
    京都観世会館のものも、国立能楽堂のものも行ってらっしゃるのですよね。
    国立では鼓筒の数が多く、大鼓の筒も展示されていたとか。
    大鼓を習っている私としては見たかったです。
    鼓筒の作者については生田コレクション関連の文章ぐらいしか
    触れられていないので、ホントちんぷんかんぷんです。
    また同様の催しがあったら、解説付きで聞きたいものです。
    ★kanaさん
    そういえば、生田耕一さん
    (現所有者の生田秀昭さんの祖父。コレクションを収集された方)が
    山崎楽堂さんと共に著された本が『鼓"筒"之鑑定』でしたね。
    なるほど、秀明さんの「意向」というのも頷けます(^^)
    私は「筒」も「胴」も両用ある、と理解することにしますね。
    「筒」と「胴」のこと、ありがとうございました。

  4. 生田秀昭 より:

    始めまして、生田です、「こどう」の文字使いに付いては、祖父耕一が『鼓筒』の文字を使っておりましたので、私も其れに習っていますが,どちらでも好いのでは無いでしょうか
    鼓の作者の系統に付いては非常に複雑で特に1700年代末以後に書かれた「匡職抄」「三筒秘抄」等では系譜の架上(俗な表現をすれば、でっち上げ)が行われた可能性が高く、私自身も考えが揺れ動いており,時間がかかりますが何とか解明できればと思っています。

  5. 生田秀昭 より:

    追伸,胴か筒かに付いて調べました所、江戸時代に書かれた以下の文献には筒が使用されており「鼓筒作人」「鼓筒作者」「三筒秘抄」「鑑筒要略」「筒銘鑑」「筒職記」と全て筒を使用しており、胴を使用している文献は、見当たりませんでした。

  6. 生田コレクションの、生田秀昭さんですか!?
    こんなところに書き込みいただけてありがとうございます。
    「鼓筒」と「鼓胴」の文字の用例に関しては、
    わざわざ見直していただいたようで、お手数お掛けしました。
    生田さんの仰る通り、両用あるという理解で今おります。
    鼓作者の系統の解明、楽しみにしておりますので、
    どうか頑張ってくださいませ。それでは失礼致します。

  7. 生田秀昭 より:

    再度、筒、胴に付いて
    江戸時代の各文献に付いては全て『筒』明治時代以降になると『筒』と『胴』とが併用されているようです。
    言葉や文字使いは時代により変化する物ですので、恐らく「どう」と言う発音から『胴』が用いられるようになった物のようですね。

  8. 再々ありがとうございます。
    …ということは「筒」の用例の方が古く、
    「胴」は明治以降に使われた新しい用法なのですね。
    いずれも発音は「どう」。
    なるほど~勉強になります(^^)

  9. 生田秀昭 より:

    酒田・致道会館で黒川能と生田コレクションの鼓の合同展示会
    6月17日~7月9日の間、山形県酒田市の致道会館で黒川能上座、下座より鼓20本並びに能装束と、生田コレクションより鼓28本,大鼓2本その他を出品し展示会の開催が決まりました。
    7月4日には大倉源次郎氏、小生によるシンポジュウムなどもあります。
    黒川能の鼓に付いて間近に見る幾会は殆ど無いと思われますのでぜひとも起こしください。
    8月下旬には、佐渡での展示会、講演会など予定しております、出来れば地元で所蔵されている鼓も出品して戴ければと思い、御願いしている所です
    黒川、佐渡と能楽が極めて盛んな地域で所蔵されている鼓が拝見できることにより、鼓の研究が、一段と進むと思っています。

  10. 生田秀明さん、こんにちは。
    黒川で生田コレクションと
    黒川能の鼓・能装束の展示会が催されるのですね!
    ご案内ありがとうございます!
    都合さえ付けば、行きたいなぁと思いますが、
    黒川って具体的にどこなんでしょう?(^^;)
    関西から行くとしたらどう行けば良いものなんでしょうね…(苦笑)
    佐渡も能が盛んな土地ですよね。
    私の知識は去年末にNHKで放送されていた
    瀬戸内寂聴さんの「世阿弥の佐渡を歩く」ぐらいしか
    ありませんが…一度は行ってみたい土地です。

  11. 生田 より:

    花の季節で各地に花を追いかけていて、不在がちでチェツクが遅れてしまいました。
    黒川は山形県の鶴岡にあり、飛行機であれば庄内空港、若しくは東京からだと、東北新幹線利用の方法もありますが、小生は鼓の運搬の為、敦賀よりフェリ-で秋田まで行き、秋田より鶴岡まで約2時間30分ほど車で戻りました。
    黒川能は上座、下座からなり、500年以前より農民主体に運営されている能楽座です。
    佐渡に付いては各神社に付属して現在でも32の能楽堂が保存されていて、演能等も行われているようです、能楽堂の保存活動をしているNPO法人と、新潟TV之主催で展示会を含めた企画が進んでいます。

  12. 生田秀明さん、こんにちは。
    わざわざ黒川へのご案内ありがとうございました。
    ただ行くのと、鼓を運搬しての移動では異なりますよね。
    わざわざ、秋田を経由しての移動、本当にお疲れ様でした。
    黒川能も写真ぐらいでしか見たことはありませんが、
    そういった能が伝承されているのは素晴らしいことですよね。

  13. h.ikuta より:

    この頁が現在生きているかどうかよくわかりませんが
    鼓作者の系統に関する研究が10年あまりかけて何とか一段落いたしました。
    もし有効にご利用いただけるのであればCDに入れて差し上げますが、ご連絡いただければと思います
               生田秀昭