2005年6月25日(土)13時開演 於:湊川神社神能殿
★観世流能『巻絹-神楽留』
シテ(巫女)=森壽子
ツレ(都の男)=大亀藤英
ワキ(勅使)=是川正彦
アイ(勅使の従者)=牟田素之
地頭=上田貴弘
笛=赤井啓三 小鼓=古田知英 大鼓=上野義雄 太鼓=梶谷義男
★大蔵流狂言『蝸牛』
シテ(山伏)=善竹忠重
アド(太郎冠者)=前川吉也
アド(主人)=岡村和彦
★観世流能『柏崎』
前シテ(柏崎某の妻)/後シテ(前同人・物狂)=佐伯紀久子
子方(花若)=上田静会
ワキ(柏崎某の家人・小太郎)=江崎敬三
ワキツレ(善光寺の住僧)=和田英基
地頭=藤井徳三
笛=左鴻雅義 小鼓=高橋奈王子 大鼓=大村滋二
★観世流能『高砂-祝言之式』
シテ(住吉明神)=吉井順一
ワキ(阿蘇神主友成)=江崎金治郎
ワキツレ(友成の従者)=吉岡省吾・松本義昭
地頭=藤井完治
笛=赤井啓三 小鼓=小嶋勉 大鼓=大村滋二 太鼓=梶谷義男
最初の『巻絹-神楽留』は省略します。
★大蔵流狂言『蝸牛』
山伏がやぶの中でひと寝入りしていると、そこへ長寿の薬となるかたつむりを求めにきた太郎冠者が現れます。かたつむりを知らない太郎冠者は、主人から聞いた「頭が黒く、腰に貝を付け、時々は角を出す」という特徴から山伏をかたつむりと思い、声をかけると、山伏もからかってやろうと、角を出したりして見せます。山伏が主人のところに行くには囃子物の拍子に乗らねばならないというので、太郎冠者と謡っていると、主人が太郎冠者を探しに来ます。主人は太郎冠者に必死に「あれは山伏じゃ」と教えますが、最後には主人も誘い込まれて、三人で浮かれてしまうのでした。
「ハァー。雨も風も吹かぬに。出な釜打ち割ろう」「でんでんむしむし。でんでんむしむし」の謡が楽しい狂言です。『千鳥』の「ちりちりやーちりちり」と並んで大好きな狂言謡。結末には、我に返った太郎冠者と主人の二人が山伏を追いかけるバージョンもあるそうですが、私はみんなで浮かれて退場するのが好き。祝言っぽいものも感じますし。今日も浮かれて終わったので大満足。
善竹忠重師は、いつもながら飄々とした雰囲気がありますが、二人を誑かしてしまう山伏によく似合いますね。
★観世流能『柏崎』
越後国柏崎に住む女性は、ある日、家人・小太郎の報告で、訴訟のため鎌倉に上っていた夫が病で死んだこと、そして息子・花若が父の死を悲しんで出家し、行方知れずになったことを知った。夫の形見と息子の文を受け取った彼女は、一度は子を恨むが、行方安穏にと神仏に祈る。(中入)
出家した花若は信濃善光寺の住僧に養われていた。その母は物狂となって善光寺に流れた。住僧は物狂は内陣へはかなわぬといって阻むが、彼女は弥陀の名を唱えて内陣へ参ることを願い、夫の形見の烏帽子・直垂を着て弥陀賛仰の舞を舞い、やがて僧の引き合わせで我が子にめぐり合うのであった。
正直なところ、昨晩の睡眠不足のためにあまり集中して見れませんでしたが、前半の、シテの女性の静かな悲しみが見事でした。夫が死んだこと、息子が行方知れずになったことを知ったシテは、少し顔を臥せ、語ると思えば、ワキ・小太郎から少し顔を背けながら語ったり、ちょっとした「型」なんでしょうけれど、とても自然で、説得力のある動きだったのですよね。また前場の地謡は、静かで短い下歌ばかりなんですが、それがまた雰囲気作りにとても上手くあっていて、よくできた前半だな、と感じました。
佐伯紀久子師の名は前からよく目にしていたのですが、実際のシテを見るのは初めて。でも本当に良かったです。これなら秋にある別会も行きたいですね。観世清和師による復曲能『箱崎』もありますし。ワキの江崎敬三師、囃子の左鴻雅義師、高橋奈王子さん、大村滋二師。周りを固める演者もステキでした。この日、一番印象に残った曲が、この『柏崎』でした。
★観世流能『高砂-祝言之式』
九州阿蘇の神主友成が船で住吉へ着くと、住吉明神が現れて壮快な舞を舞い、天下泰平を祝福するのでした。
前半のない、いわゆる半能形式。それが「祝言之式」という小書なんだそうです。ワキの装束が烏帽子・狩絹のいわゆる「大臣」ではなくて、風折烏帽子・水衣・厚板・大口になり、シテの面も「邯鄲男」よりもっと強々しい表情のものでした。「三日月」でしょうか?
感想としてはとにかく、力強い生命力を訴えかけるような能でした。地謡も、上田拓司師や吉井基晴師といったような方が前列で、圧倒されるかのように力強い。芸云々というよりも能楽協会神戸支部の創立50周年を総力をあげて気持ちよく祝った、という印象でした。
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