住所:奈良県桜井市箸中
桧原神社からは山辺の道から外れて東へ進み、次の目的地は箸墓古墳。全国で10番目、奈良県内では3番目に大きい前方後円墳です。一説に卑弥呼の墓ともいわれますが、私はちょっと時代が合わないのではないかな、と思います。現在「孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命・大市墓」として宮内庁の管理下です。
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)は、崇神天皇の叔母(もしくは大叔母)で、『日本書紀』では神かがりして託宣を行ったり、謀反をいち早く言い当てて崇神天皇を助ける人物として登場します。
倭迹迹日百襲姫で有名なのは、箸墓古墳の由来でもある、三輪の神の妻となった話です。以下に簡単に書くと
夫の神が夜に通ってくるばかりで、その顔を見れないことに不満を持った姫が、ある夜、是非顔を見たいと言います。すると、神は「朝になったら汝の櫛箱に入っているが、姿を見ても決して驚いてはならない」と告げます。次の朝、姫が櫛箱を開けたところ、中に小さな蛇が入っていて、姫は驚いて叫んでしまいます。蛇の姿をした神はたちまち人間の姿になって恥をかかされたことに怒り、大空を飛んで三諸山(三輪山)に飛んで帰った。姫が悔いて座ると、その女陰に箸が突き刺さって死んでしまった。姫は大市に葬られたが、人々はそれを箸墓と呼んだ。その墓は昼は人間が作り、夜は神が作ったという。
というもの。能『三輪』のクセの前半で語られる神語りの元となった話です。「箸」は神の霊が宿る「依り代」だったので、「箸で女陰を突く」というのは巫女と神の交わりを表しているのだそうな。
そういえば日本最古[弘仁13年(822)成立]の説話集『日本霊異記』の中巻に、「女人の大きなる蛇に婚せられ、薬の力に頼りて、命を全くすることを得し縁」という話があることを思い出しました。『日本霊異記』は仏教流布を目的とした書物ですから、「蛇に婚せられ」たことをあくまで否定的に記しますが、本来は古神道の蛇神に仕える巫女の話だったのが、歪曲された形なんでしょうねぇ。
こういう神話とか信仰とかって面白いですけれど、どこまでも深いので、この辺りでとりあえず切り上げです(笑)
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箸墓古墳
奈良大和路スケッチ百景 箸墓
三輪神社から檜原を経て長岳寺までの道筋を、檜原巻向の里と言う人もあるが、まさしく山の辺の道の中でもその大らかさと言う点では圧巻ではないだろうか。そんな檜原巻向の里に箸墓古墳が佇む、ここ箸墓は卑弥呼の墓であるという説がある
私も行ってみたいです。
奈良が大好きなので、今、奈良の歴史をしらべてます。