元伊勢 桧原神社

桧原神社

住所:奈良県桜井市三輪字桧原

 玄賓庵から更に山辺の道を進むと桧原神社へ出ます。『日本書紀』に、崇神天皇の時代、それまで宮中で祭っていた天照大神(天皇家の神)と倭大国魂(三輪の神)を、共に祭ることができなくなったので、それぞれ宮外に移したとありますが、その時アマテラスを移した「倭の笠縫邑」が、現在の桧原神社の場所です。

 その時、アマテラスを祭ったといわれる皇女・豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)は、伝承上とはいえ「初代の斎王」なのに、今回、桧原神社を訪れるまで全く見逃していましたたらーっ 碧穂さんに今回の古代史跡巡りに誘っていただけて、ホント良かったです。

 次の垂仁天皇の時代に、豊鍬入姫に代わって仕えた倭姫がアマテラスを伊勢に移し、伊勢神宮となったとされています(伊勢神宮起源説話)。その関係で、桧原神社は「元伊勢」とも呼ばれます。

 桧原神社には起源が起源だけに、アマテラスを祭神としています。しかし、拝殿も本殿もなく鳥居だけで、三輪山を拝むようになっており、形としては大神神社と同じなんですね。鳥居も大神神社特有の三輪鳥居(三ツ鳥居とも)。だからホントは「元伊勢」だと理解するだけでは不十分なのかも知れません…。

桧原神社から二上山

 鳥居に背を向けて西を向くと、大和盆地が見渡せる景色の良い場所でもあります。上の写真は、カメラも腕もヘボいのですが、桧原神社から見た二上山。大津皇子ファンの碧穂さんが、この神社を目指された目的です(大津が葬られた山だといわれている)。写真では薄っすらとしか見えませんが、肉眼では良く見えたんですよ。私も「うつそみの人なる我や。明日よりは二上山を弟と我が見む」と詠んだ大伯皇女に思いを馳せました。斎王ゆかりの地であることですしね。


 是より先、天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内に並祭す。然して其の神の勢ひを畏りて、共に住むこと安からず。
 故に天照大神を以て、豊鍬入姫命に託け、倭の笠縫邑に祭らしむ。仍りて磯堅城の神籬を立つ。亦、倭大国魂神を以て、渟名城入姫命に託け祭らしむ。然るに渟名城入姫、髪落ち体痩せて祭ること能はず。
(『日本書紀』崇神天皇六年[一部]・元漢文)

 興味を引かれるのは、倭大国魂(三輪の神)を祭ろうとした皇女・渟名城入姫が拒否され「髪落ち体痩せ」てしまったというくだり。崇神天皇は方法をいろいろ工夫しますが結局、系統の違う天皇家では祭れないのです。最終的には三輪の神の子孫だという、大田田根子という人物を探し出して祭らせました。

 『日本書紀』は天皇家中心に整理された歴史書ですが、三輪山を巡る祭祀権の推移を暗示しているようで、楽しいです。

■関連記事
大伯皇女ゆかりの夏見廃寺
斎宮の歌碑
明日香で見つけた…
三輪そうめん
三輪明神 大神神社
狭井神社 花鎮社
玄賓庵と能『三輪』
箸墓古墳
旅の終わり 日没

Pocket
LINEで送る

柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

オススメの記事

3件のフィードバック

  1. 小島 より:

    こんばんは。小島です。
    先日は丁寧なご回答を有り難うございました。
    ブログの方に紹介記事を書かさせていただきました。
    古代史には私も一時期はまっておりましたので、本件の内容も懐かしい空気ですね。参考までにTBさせていただこうと思います。
    コメントを頂いた“最後の斎王”こと、神女ウトゥタルのエピソードも、お暇なときに是非ご一読下さい。それでは失礼します。

  2. 『Metalzigzag』さんと『能楽の淵』さん

    こんにちは。小島です。最近すっかりご無沙汰していてまれびとの皆様にはすみません。ブログも遊びたいのですが、オフでの活動が多くて。こちらに表れないぶん順調なんですけどね。さて、きちんと紹介しようとするとどうもキーが進まないので、ざっくりとご紹介です。先

  3. 小島さん、詳細な紹介記事ありがとうございました。
    早速、神女ウトゥタルの登場人物案を読ませていただきました。
    元が自分の書いた文章ですので、少し気恥ずかしいですが、
    とりあえず格好は付いたかと思っています。
    これからもますます「グスクの海」の活動が
    発展されることをお祈りいたします。