玄賓庵と能『三輪』

玄賓庵その壱

住所:奈良県桜井市茅原377

 狭井神社の前から山辺の道に入って進むと、次は玄賓庵。能『三輪』でワキとして登場する、あの玄賓僧都が住んでいた庵が元となった寺です。もっとも元々は三輪山桧原谷にあったのが、明治の神仏分離でこの地に移ったものらしいのですが。

 近くにあった案内板に「玄賓は弘仁九年(818年)になくなりました」とあって、実は平安初期の人物だったと知って驚き。能だけに、中世の人物かと勝手に思い込んでいました。また玄賓という人物について調べてみたいですね。


玄賓庵その弐

能『三輪』あらすじ
 三輪山に庵を構える玄賓僧都のもとへ、毎日、閼伽の水を持ってくる女がいた。今日も庵を訪れた女は、罪を助けてほしいと玄賓に頼み、衣を一枚恵んでほしいと言う。玄賓は衣を与え、女の住処を尋ねると「我が庵は三輪の山もと。恋しくば訪らひ来ませ杉立てる門」という歌の通り、その杉立てる門を目じるしにおいで下さい、と言い捨てて姿を消す。(中入)
 玄賓が訪ねると神木の杉に与えた衣が掛かっていて、その裾に「三つの輪は清く浄きぞ唐衣。くると思ふな取ると思はじ」という一首の和歌が記してある。やがて神霊が烏帽子・狩衣の男装姿で現れ、神も衆生を救うためしばらく迷い深い人間の心を持つことがあるので、その罪を助けてほしいと言う。そして三輪明神の妻訪いの神話を語り、更に天照大神の岩戸隠れの時に舞われたという神楽を奏するが、夜明けと共に消えてゆく。

 能『三輪』は玄賓僧都の説話と『古事記』『日本書紀』にみえる三輪明神の神婚説話、さらに天岩戸神話が絡み、神道と仏教が習合していた中世の感覚を背景に作られた能で、正直、私は今ひとつ理解しきれていない曲なのですが、その理解できない部分も含めて魅力的な能だと思っています。

 この能では後シテ三輪明神は女性の姿で現れます。夜ごとに女性のところに通ったという神婚説話から見ると、当然男神であるはずのところをです。装束からみて巫女のようにも思えますので、神がかりした巫女の口を借りて、三輪明神が男としての話を語っているようにも考えられます。

 問題は最後のキリに「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更何と磐座や」とあって、伊勢と三輪の神が同一であることは当然だと語られること。初めて聞いたときには「ええっ!」と驚いてしまいました。伊勢のアマテラスと重ねるためにシテが女体ということと、この直前に天岩戸の神楽を奏することの理由付けなんでしょうけれど…ちょっと頭が混乱デス…(苦笑)

 と混乱しつつも、神が僧である玄賓に仏法による助けを請うあたりは、いかにも中世らしくて好きですね。変に頭で難しく考え過ぎるより、素直に能の面白さとして受け止められるようになりたいものです…。

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旅の終わり 日没

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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