住所:神戸市須磨区離宮前町1
今回の須磨能楽紀行の最後の目的地は松風村雨堂。「平重衡捕われの松」のある須磨寺駅から次の月見山駅へ向かう途中にあります。現地の案内板には下のようにありました。
在原行平は仁和二年(八八六年)光孝天皇の怒りにふれ須磨の地に配流されて寂しく暮らしていた。その時、潮汲みに通っていた多井畑の村長の娘”もしほ””こふじ”の姉妹をいとおしく思い、松風・村雨の名を与え仕えさせた。三年の歳月がたち、許されて京都に帰る行平は、小倉百人一首で有名な
立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む
の歌を残し烏帽子・狩衣をかたわらの松の木に掛け、姉妹たちへの形見とした。二人の姉妹はたいそう悲しんで庵を建て観世音菩薩を信仰し、行平の無事を祈っていたが、後、多井畑へ帰りわびしく世を去った。
在原行平は業平の兄。能『松風』ゆかりの地ですが、行平が須磨に流罪にあったという事実は確認できませんし、「立ち別れ…」の和歌は、行平が因幡守を拝命し任国に赴任した際の和歌というのが定説です。しかし、傍らの衣掛松と「待つ」、そして松風の”松”が重なり合って、言葉のとても綺麗な曲だと思います。
敷地内には松風・村雨の姉妹が建立したという観音堂と「先代の衣掛松の切り株」といったものがあります。今の衣掛松は三代目だそうで。高砂市にある相生の松も数代目だった覚えがありますが…こういう松の代がわりってどうやって決めてるのか、とちょっと疑問に思います(笑)
敷地前の道には松が植えられていて、良い感じ。「松風」にちなんだわけではなくて、国道2号線から須磨離宮に向かう途中の道だからだとは思いますが…。
最寄のバス停は松風村雨堂を略して「村雨堂」。能の曲名では忘れられた妹がリベンジしてます(笑)
昨日大阪の能楽教室を拝見に参りましたので
ついでに足を伸ばし神戸博物館に浮世絵展を見に行きました
たまたま着物を着ていたので入場券が半額で
ちょっと嬉しかったのですが
とにかく凄い人で入場制限まであり少々驚きました
ボストン美術館所蔵の肉筆ばかりが70点余り
いろいろと素晴らしかったのですが
その中に「見立」という作品が数々あり
能にちなんだものも沢山ありました
草紙洗小町 江口 高砂 石橋 砧などと並んで
松風村雨図がありました
もちろん二人の美しい姉妹が描かれており
多くの浮世絵の中で私は一番好きでした
浮世絵に「見立」というジャンルがあることも初めて知り
神戸まではるばる行ってよかったです
もちろん能楽教室も楽しかったですよ
源次郎先生の流暢なしゃべりも絶好調でしたし・・・
大阪神戸は能にちなんだ場所が多いですね
能楽教室での舞囃子「融」もゆかりの地がありますし
またいろいろ紹介して下さい
amiさん、こんにちは。
私も神戸市立博物館の「江戸の誘惑」展と
大阪能楽会館の能楽教室に行きましたよ(^^)
「江戸の誘惑」展は和装だと半額という情報があったので、
私はそれ狙いで、しっかり和装で行きました。
しかし、凄い人でしたね。
平日の朝一から行ったのですが、すでに入場制限がありました。
私は葛飾北斎の「朱鍾馗図幟」が一番の目当てで行ったのですが、
江戸時代以前の古典の主題を表現する「見立」は、
能に関連した画題も多くて、私も意外な発見でした。
やはり江戸時代にも能は親しまれていたんですね。
能に関連する絵では、直接の見立てではありませんが、
女性の舞踊を描いた勝川春章の「石橋図」が躍動感があって好きです。
能『望月』でも使われる、
扇を二つ重ねて獅子の口を表現する様子とか…。
能楽教室も楽しかったと同感です。
大阪の少々いかがわしい地区になってしまいましたが、
太融寺も源融ゆかりの地ですし。
なにせ関西で生まれ育った芸能ですから、
大阪・神戸・京都・奈良といった関西は
能ゆかりの土地が多いです。
狂言でも京の都はもちろん、神崎の渡し(神崎川)や
西宮といった地名が多く出ますよね。
またいろいろ訪ねてまわりたいものです。
須磨の史跡・観光スポット(1)松風村雨堂
●松風村雨堂
【住所】神戸市須磨区離宮前町1
【アクセス】山陽須磨寺駅から東へ徒歩10分・市バス村雨堂下車)
平安時代の歌人、在原行平(818-893)は、平城天皇(774-824)の孫で、六歌仙・在原業平(825-880)の兄にあたる人。その行平と村娘「松風