さて、道成寺に行った後、電車に揺られて紀伊田辺へ。田辺は紀伊半島西海岸のほぼ中央で、古くから熊野街道の中継地として栄えた土地。この田辺から内陸に進む熊野街道を中辺路(なかへち)、海岸沿いに続く道を大辺路(おおへち)といいます。ここから中辺路側に30分ほどバスで行くと、『道成寺縁起』で有名な清姫の里である真砂(和歌山県西牟婁郡中辺路町真砂)にも行くことができます。
その紀伊田辺で最も目に付くのは「武蔵坊弁慶」。上の写真は駅前にある弁慶像ですが、ほかにJR紀伊田辺駅では「弁慶ロボット」が出迎えてくれます(私のときには動いてませんでしたが、見得を切ったり、長刀を動かしたりするそうです)。また、町には弁慶通りもあれば、銘菓「弁慶の釜」もあり、さらに駅前飲食街の入り口のポール上には、『キテレツ大百科』のコロ助をイメージさせる可愛らしい弁慶?像まであります。
ここ紀伊田辺は、弁慶誕生の地とされているのです。その根拠は『義経記』にある、熊野別当であった湛増の嫡子で、幼名を鬼若とする説。比叡山で修行を行った後、山を降りるにあたって自ら名付けたのが「西塔の武蔵坊弁慶」という通り名なんだとか。
こちらは父だとされる湛増とのツーショットの弁慶像。駅からも近い闘鶏神社の境内にあります。湛増率いる熊野水軍が源平どちらにつくかを決するために、紅白の鶏を戦わせて占い、白が買ったので源氏についたとされます。元は「新熊野神社」と呼ばれていたのですが、明治初期に「闘鶏神社」と名を改めたそうです。拝殿に対して6つの本殿があって、熊野大社に倣った形になっているのが面白い神社でした。
子ども向けに絵本風にした「弁慶物語」や、「武蔵坊弁慶」と題したパンフが駅や商店街の各地で配られていて、気合の入った「弁慶の町」ぶりが印象的な紀伊田辺でした。
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